スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

近藤勇と武市瑞山の漢詩

平成二十三年十一月十七日付の高知新聞に、武市瑞山に心酔していた牢番が、獄中で瑞山に頼んで書いて貰ったという漢詩を軸装したものが見つかったという記事が載りました。
ただ当時新聞に載った解説が、詩の内容の解説としては不適当ではないかと思ってたところ、やはり講演でも新聞の解説はおかしいと学芸員の方が同様の意見を述べられていました。今回は『土佐史談252号』で竹本義明氏が武市瑞山・近藤勇の漢詩発見の新聞報道に疑問を呈した記事を書かれていたので取り上げてみます。

梦上洛陽謀故人
終衝巨奸氣逾振
覺來浸汗恨無限
只聽隣鷄報早晨
  梦覺而得一絶  瑞山

【大意】
夢で上京し、同志と謀って、ついに巨悪を倒し、気はますます奮い立つ。
目が覚めると、ぐっしょり汗に濡れ、無限の恨み。
ただ隣家の鶏が早朝を告げる声を聞くばかり。
夢から覚めて絶句一首を作った。 瑞山

瑞山の詩の方はこういう内容でした。
新聞では松岡司氏が、「山内容堂を恨む半平太の心情がストレートに表れた貴重な資料」、「土佐勤王党を弾圧した元藩主・山内容堂ら藩体制への強い怨恨が込められている」などと評したと書かれていましたが、松岡氏は実際になんと解説したんでしょうか?気になるところです。
この詩はそういう内容ではないようなんですね。
まず、第一句「上京して故人(友人)と計画して、巨奸を倒す」夢を見た、この「巨奸」とは尊王攘夷派の瑞山らの政敵・公武合体派の公家や幕府関係者や思想家を指すのだと思われます。
次に容堂&土佐藩庁への恨みというのも、「挙藩勤王(一藩勤王)」の旗印のもと京都に上り、薩長らとともに天皇を守護し奉るという瑞山の理想に反するとともに、主君に対する反逆罪で即刻処刑されてもしかたのない態度である、また主君に対する怨恨を込めた漢詩を書いて牢番に渡すというのもおかしな話で、政敵に知られれば土佐勤王党を断罪する格好の口実になる筈なのに、そんな事を書く筈がないというのが竹本氏の意見でした。
この書軸は牢番の縁者の子孫の方が戦時中も代々大事にしておられたものだそうです。

また平成二十三年十月五日付「毎日新聞」等で、近藤勇の直筆の掛け軸が見つかったと報じられていましたが、こちらの報道内容にも竹本氏は疑問を呈しておられました。

只應晦迹寓牆東
喋喋河随世俗同
果識英雄心上事
不英雄處是英雄
有感作 剣客士 近藤書

【大意】
(乱世から逃げたりせず、王君公のように)ただ世間から身を隠して城壁の東で暮らすべきだ。どうして、世間の人と調子を合わせてぺちゃくちゃ喋って生きるものか。
私はついに分かったよ、英雄の思いが。英雄らしくないことが、実は英雄なんだ。
感じる事があって作る。 剣客士 近藤書

こちらも霊山歴史館の木村幸比古氏が「漢学者の頼山陽の書を好み、まねをしていた近藤の筆跡に間違いない。憧れの武士となって意気揚々としていた当時の近藤の様子が伝わってくる」と話しているという記事でしたが、竹本氏はこの詩に「憧れの武士となって意気揚々」という印象は持たれなかったそうです。実際どういう気分で書かれた詩なのかは私も分かりかねます。
このようなことは漢詩そのものをきちんと解釈せずに発表するという拙速が招いた過ちであると竹本氏は結んでおられました。

漢詩は内容の解釈に結構幅がありますし、取材する記者の人も取材対象に詳しいわけではないので、正確な解説ではない記事が掲載されることもあるというお話でした。
スポンサーサイト

検証・井口村刃傷事件(3)

続いて土佐藩の上士であった佐々木高行の井口村事件に関する記録を紹介。

『保古飛呂比 佐佐木高行日記』文久元年三月より

一同四日、同夜土佐郡井口村ニ殺人騒動アリ、
 藩士 宇西孕ノ住 山田廣衛・御茶坊松井繁齋両人節句ノ馳走ニアヒ、大酔トナリテ中須賀ヨリ小川二沿ヒテ永福寺前ノ土橋ノ詰二来カヽリシ時、山田二衝突シタル人アリ、暗夜ノコトニテ誰トモ知レズ、先生(二人連ハ)コレハ失體卜一言ノ詫ヲナシテ行キ過ギントス、山田ハ酔中トテナカ/\キヽイレズ、先方モ遂二胸ヲ定メテ言論シタリ、山田ハニクキ奴卜抜刀二及ピケレバ、先方モ之二對シ遂二刀傷二及プ、山田ハ名高キ腕前ナレバ、遂二相手ヲ斃シタリ、此二於テ、松井ヲシテ人家二行キテ、提燈ヲ借ラシム、然ルニ餘リニ渇ヲ覚エケレバ、川端二降リ立チテ口ヲウルホス所ヲ、何物トモ知レズ後ヨリ切リ付クルモノアリ、山田ハ深手二屈セズ、フリカヘリテ之卜切り結ビタレドモ、途二切害セラルヽニ至リタリ、油断大敵トハ此事ナリ、
 山田ノ殺セシハ軽格中平忠一郎ニテ、忠一郎ノ連ハ宇賀某ニテ、山田・中平刀傷二及ブヤ、小高坂村池田虎之進ナル中平ノ賓兄二急報セシカバ、池田ハ早速現場ニ駈付ケ、右ノ始末二及ビシ由、


参考までに高行の『勤王祕史 佐々木老侯昔日談』から土佐藩の身分対立についての説明を引用します。

(全体土佐は長宗我部の遺臣等が多くて、殺伐の気象が一般に存して居る。上を凌ぎ我見を貫こうというような国風であったので、山内氏入国当時より階級制度を厳重にして、それらを抑え付けようとする政策がとられた。長宗我部の遺臣には作り取り郷士というような特典を与えてあるが、それら軽格と士格との間には、非常に尊卑階級があったもので、もし士格に対して無礼の挙動でもあると、切り捨てられても仕方がない。(中略)その軽格-郷士以下は大部分が長宗我部の遺臣で、しかも財力といい武力といい、決して士格に譲らないものが多い。それらが無礼とがめなどから葛藤を生ずることが珍しくない。


土佐藩に於いて士格と軽格の刃傷事件はいくつも記録に残っていますが、井口村事件は幕末の土佐勤王党結成直前の時期の出来事なので関連付けて考える人が多いですね。
全く無関係とはいいませんが、士格と軽格の対立が一直線に土佐勤王党結成のきっかけになったという説明は不適切なのではないでしょうか。たまにそういう説明の本を見かけますが…。佐々木高行が述べているような身分差別への不満は、土佐から志士が出た原因のあくまで一要素に過ぎないと思います。
勤王党結成の背景には、山内容堂が安政の大獄で処分を受けた事に対して「君辱めらるれば臣死す」と立ち上がったという一面もあれば、土佐藩では長い伝統を持つ南学・国学を学んだ人間の層の影響もあると考えられています。また学問を通じて、身分や藩内の出身地を超えた縦横の繋がりが生まれたのも大きいでしょう。何にでもかんでも「身分差別への不満」という分かりやすい理由を取って付けて片付けようとしないで欲しいものです。

真山青果『坂本龍馬』

『真山青果全集第七巻』(講談社:1975年) 収録『坂本龍馬』の感想。
この戯曲は発表誌『女性』に昭和三年一月~五月まで連載され、昭和三年八月~沢田正二郎主演で帝国劇場で上演されたものです。龍馬ブームを作った作品としては坂崎紫瀾『汗血千里駒』に続いて二作目になるもので、司馬遼太郎『竜馬がゆく』もこの真山青果版『坂本龍馬』の影響を受けた部分があると思います。

勝海舟門下の龍馬が訪ねてくる土佐勤王党在京時代、薩長同盟前後、近江屋事件の四部構成になっています。
まず面白いのが冒頭。京都の武市瑞山寓居で、岡田以蔵ら土佐勤王党員達が天誅の相談をしている場面からいきなり始まります。

岡田「何んだ。まだ話が極らないのか。籤にせいよ、籤に。六人もあれば澤山だ」
何某「籤には、不同意者があるのだ」
何某「おれは籤に弱い。いつも籤に洩れるから厭やだ」
岡田「誰だ、光之進か」
何某「二度も三度も場に出合ふ者がある。一度も鞘を拂はない者がある、それぢゃ公平とは云はれない」
何某「そこが運だ。籤々!」
何某「厭やだ。おれは引かない。運否天賦で動くのは厭やだ」
岡田「はヽはヽヽ。誰か譲って、光之進を入れてやれよ。光之進の三尺無反は御隠さまお聲がかりの代物だ。一度気持ちよく抜かせてやれよ」

この辺は『武市瑞山関係文書』に収録されている『五十嵐敬之談話、岩崎英重筆記』、『天誅見聞談』を参考にして書かれていますねー。天誅に希望者が殺到してクジ引き大会になった事があるというのは実話です。
以前の記事で触れたのでリンクを貼っておきます。
◆『天誅見聞談』

こういうノリで良かったのに司馬遼太郎氏のせいで…ハア。
岡田以蔵は創作では使い勝手のいい人物ですね。
もっとも実際の事蹟上は散々瑞山・他同志の世話になっておきながら身を持ち崩したあげくに拷問によって自白、土佐勤王党の獄崩壊の切欠になったという事のみが特徴的な人物であり、私は嫌いなんですが。事実と真逆の龍馬伝の描かれ方など、見ていて実に気分の悪いシロモノでした。
この後、坂本龍馬が手際の良い絞殺方法を伝授してくれたり、田中光顕が『維新風雲回顧録』で語っている「自分は正月の紙衣を着るのが夢だった~」という思い出話が武市瑞山の台詞になっていたりと、元ネタを知っていると面白い部分が多かったです。ある人の逸話を別人の台詞に持ってきたりしているんですねw

主に坂本龍馬が武市瑞山や、桂小五郎や、中岡慎太郎と熱く語り合う場面が見所です。龍馬よく涙ぐみます。会話が熱いです。役を割り振られてる人物達が、実際こんなだったかと聞かれるとそれはまた違うと思いますけどね。

この戯曲の中でなぜ龍馬が頻繁に涙するのかというと、作品の主題のためでしょうね。

眼先の見え過ぎるため自分の主張と行動とが刻々に変わって行く、其れが第三者からは小才子とも裏切り者とも見える『坂本龍馬』はさうした先覚者の悲哀を主題にした脚本である。(以下略)
伊原靑々園――八月四日、都新聞

上演された芝居に対する批評のこの一文が、主題を端的に説明していると思います。
実際のところは、坂本龍馬含む脱藩土佐勤王党員らはバラバラに行動しながらも、好むと好まざるとにかかわらず土佐をホームグラウンドとして活動しており、別行動中でも反目し合っているわけではなく他の勤王党グループと接点を持っていましたので、裏切り云々という状態ではないのですが。

作中では
龍馬「次に来るのは封建制度の破壊です。」(p.500)
龍馬「俺の倒幕論は、一徳川家を叩き潰す意味じゃない。人間を窒息させるこの封建制度そのものヽ破壊を主眼としてゐた。」(p.528)←この後に龍馬が政論を語る長い台詞が続くのですが、この辺りにマルクス主義に傾倒していたといわれる真山青果が龍馬に託したテーマが滲み出ていますね。龍馬め含め実際の志士達が封建制の打破を目標にしていたかというと、必ずしもそうではないとは思いますけど。

あとがきで紹介されている「戯曲『坂本龍馬』の構想」という覚え書きで、青果は次のように記しています。

「世は彼の外面のみを見て、彼の功績を称し、彼の敏聡を云ふ。衷心に苦しみたる彼を視ざるなり。試みに彼の陣中秘録を読め。人は必ず血痕斑々として、そこに悶え苦しむ彼の呻吟語を聞くなるべし。彼は彼自身を克服するために、いかに苦しみ、いかに慨きたるか。
 彼は遭難の数日前、卒然として、誰か俺を牢に入れてくれないかと叫びたりと云ふ。この語、十年以来、龍馬傳に接し龍馬を想ふごとに、常にわが耳に新しく聞くやうに感ぜらるヽなり。彼は何故にしかく自己を恐怖せるか」

真山青果は坂本龍馬像をこのように捉えていたようですが、今見るとなかなか新鮮な人物像ですね。実際の坂本龍馬がこんな人だったかというと、私はそうは思いませんけれど。「彼は遭難の数日前、卒然として、誰か俺を牢に入れてくれないかと叫びたりと云ふ」の出典があるのかないのか分からないので、ご存知の方おられましたら教えていただけると嬉しいですね。

ちなみにいまや高知のランドマークとして有名な桂浜の坂本龍馬像は、この真山青果『坂本龍馬』に感動した高知出身の早大生・入交好保氏が発起人となって龍馬像建立運動を起こした結果、今あそこに建ってものです。入交氏も著書をめくるとやはりマルクス主義的な思想の影響を受けているようです。現代は現代で司馬史観の弊害が~などと言われていますが、この方達の時代にもそれはそれで思考にバイアスが掛かっていて、そういう思想のブームみたいなものが興味深い。

絵師・金蔵 生誕200年記念 大絵金展

高知県立美術館の「絵師・金蔵 生誕200年記念 大絵金展」に行ってきました。

長年謎の多い絵師とされてきた絵師・金蔵ですが、近年文献調査・科学調査が進み新事実が明らかになってきております。
以前の記事にリンクを貼っておきますね。

◆土佐史談会講演~絵金と幕末祭礼文化~

ふだんはお祭りの時にしか展示されない芝居絵を明るい場所で一堂に鑑賞することができ、感激もひとしおでした。細かい部分まで観察できてよかったあ~。
絵の他に芝居絵を展示する「手長足長絵馬台」が展示されると聞いて、これも目当てにして行ったのですが、妖しくてよかったですね~。
絵金さん縁の他の絵師の絵も展示されていたのですが、河田小龍さんの芝居絵がくすんでいるのに比べて絵金さんの絵は遠目にも鮮やかで、これは絵具を独自に調合したといわれる絵金さんの工夫の成果でしょうか。
このような祭礼の際に奉納される絵は、各地域の人たちが共同で絵師に注文を出すという制作方式だったそうで、個性的な「手長足長絵馬台」の他にも上下に“維明治一八年九月吉祥日”“上夜須下組講社中”と記された「天岩戸」の絵などもありました。昔は本当に土佐中で地域に根差したお祭りだったんですね。

昔の土佐では絵を描く人=絵金さんと呼ばれるほど一世を風靡した絵師・金蔵。
無惨絵というジャンルで月岡芳年と共に語られることもある絵金こと弘瀬洞意ですが、彼の絵には激しさの中にちょっとブラックで生活感のある笑いや、諧謔の精神が感じられますね。天賦の才に狩野派で修行を積んだ画力に加え、こうした絵金さんの個性が当時の土佐人の心を掴んだのだと思います。

この企画展は今月16日まで。今回の図録はamazonでも購入できます。

極彩の闇 絵金極彩の闇 絵金
(2012/10/28)
高知県立美術館

商品詳細を見る

検証・井口村刃傷事件(2)

今回はこの事件について、小説内の描写を取り上げてみますね。
事件発生前後の描写にあまり差はないので、主に各小説の龍馬の行動を取り上げていきます。

まずは坂崎紫瀾『汗血千里駒』。

○汗血千里駒第壹編
    江戸 雜賀柳香 補綴 
    土佐 坂崎嶋々道人 原稿
第壹齣 春の夜の闇ハあやなし梅の花
         雛祭の白酒 下緒の韓血
「面白の春雨や 花を散らさぬ程よ降れェー時に繁齋老此春雨がはら/\と顔に降りかゝる心地ハまた一層の愉快でハないか「如何様春宵一刻價千金(略)

と酔っぱらった山田広衛が同行する益永繁斎に語りかける場面から始まります。文体が古くて逆に新鮮ですねw

事件発生後士格と軽格の集団の睨み合いになります。

原来土佐國の慣習として軽格と唱ふる士分に列せぬ者に於てはよしや其智勇辯力一器量ある者にても士格の者には奴隷の如く圧制さるれど更に之と抗する事の能はざる因襲の久しき累代封建制度の為なりしも當時に至りては或は文武修行の為め江戸に在りて普く他國の有志に交わり或は尊上攘夷の論に耳を傾くるあり彼につけ此に付け誘い起こされし天賦同等の感情よ胸の炎を焦がしつつ其門閥を憎み階級を軽んずの勢い既になれる折柄なれば今度池田が健気にも士格の者を二人まで射留め其場に弟の敵を撃しは適晴未曾有の働きなると僉小躍して勇み喜び万一山田方より理不盡に踏み込むも測り難ければ池田の為に之を防ぎ生死を倶に決すべしと同家へ馳せ集まりし軽格には門田為之助望月亀弥太池内蔵太大石弥太郎等の諸有志を始め或は平常池田の面さえ見識らぬ者までも互に防禦の手配をし甲乙は表門丁丙は裏口又戊こそは砲術に長じたれば屋に上りて能き敵を狙撃すべしなど最と厳重に固めたり

などとここは血気盛んな描写になっています。山田方からの使いは体よくあしらい、池田寅之進が自分は二人まで士格の者を討ち果たし満足であると皆に挨拶し、弟を弔って切腹。
門田為之助、望月亀弥太、池内蔵太、大石弥太郎ら後の土佐勤王党の面々が登場しますがこの人選はどういう基準なんでしょう。本人史料が少ない割に面白い立場の人達が選ばれてますね。

終夜酒酌み換し明れば三月六日の暁まだ少年の宇賀喜久馬俱侶花の盛を一期として最と潔く刃に伏せしは泣かじとすれと桜鯛辛子酢武士の涙かなと惜まぬ者こそなかりけれ(略)
藩廳にては國の法規に違反せし廉を以て池田の父某及び伯父中町某は平常教訓方宜しからざるとの廉にて其格禄を取り上げられしかば士格以下の輩はいよ/\藩廳に不平を懐きぬ然るに此時池田の宅へ駆つけし有志の一人に坂本龍馬と云う人あり

龍馬初登場です。

始め池田兄弟とは無二の友墻なりたりしも央頃互いに論旨の適ねば其交際を断ちたる折から該騒動を聞きしより他に見るべき時ならずと諸有志と供に池田方に来たり池田の割腹論を大に賛成し寔に武士は斯こそありけれと更に之を禁(とどめ)ず頓て寅之進が割腹の血汐へ己が刀の下緒(白糸なりしと)を浸し韓紅となりしを手に把りて各々見られよ之ぞ世にも猛男が魂魄残りし最後の紀念池田は我國軽格の元気を振興させんが為め身を犠牲に供したり努々姑息に流るるなかれ盡せよ盡せ國の為と押戴きて元の如く刀に結つけ家内の者に会釈をなして悠然と立去し其挙動には一同感じて竭まざりし是ぞ汗血千里駒が驥足と(以下略)

という感じになっています。
龍馬が切腹を推奨する立場なのは、現在のイメージとは異なっていて面白いですね。
長くなったので続きは次回。
プロフィール

azoto

Author:azoto
土佐藩についての話題が多め。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
FC2カウンター
にほんブログ村Ranking
ブログランキング・にほんブログ村へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。