女は競ってこそ華、負けて堕ちれば泥

「坂本龍馬を知っちゅうかえ
中岡慎太郎を知っちゅうか
武市半平太を知っちゅうがか
土佐の高知にはのう
昔から志士は出たち極道は育たんといわれちゅうがその訳はのう
高知の人間は男じゃち女じゃち
一皮剥いたら全部が極道裸足の命知らずっちゅうこっちゃ
ほうじゃきに高知が欲しいちゅうてわし一人を消したち
どうにもならんぜよ」


昭和初期の高知の花柳界を描いた、宮尾登美子原作・五社英雄監督の「陽暉楼」を観ました。
緒形拳と浅野温子がカッコええ〜(//>∀<//)
冒頭の文は、高知のシマを乗っ取りに来た大阪のヤクザにタンカ切った緒方拳のセリフ。
モデルになった料亭・得月楼(陽暉楼)は今でも南はりまや町1丁目にあります。
酒に酔ってた勢いも手伝って泣いた〜!同じく五社監督作品の「吉原炎上」や「鬼龍院花子の生涯」でも泣かなかったのに〜。昔からワインは悪酔いするな私。
昔「動物のお医者さん」で知った「女は競ってこそ華、負けて堕ちれば泥――!」のキャッチコピーはこの映画のものだったのですね。
エネルギッシュで泥臭く悲しいお話でした…。やはり高知を舞台にした作品はこうでないと。こんな熱いノリで史実ベースの土佐勤王党ドラマか映画が観たいぞ私は。
五社監督の映画「人斬り」もありますけど、あれは司馬遼太郎作品ベースですからね〜。

さて、今日は岡田以蔵の命日祭に行ってきました。今年は148回忌。
当日は晴天、強風が吹き荒れ涼しく爽やかな気候で、ヤブ蚊が少なくて良かったです。
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地元の酒屋さんが、岡田以蔵の日本酒作ったりグッズ作ったりお客さん案内したりと何かと熱心なようです。最近は以蔵の生家跡に記念碑を作るべく署名を集めているとか。うーん。

2007年頃に表に出て、龍馬記念館が購入した京都土佐藩邸資料の中にあった、岡田が京都で捕縛された時の罪状文が展示されると聞いて、コレ目当てで行きました〜。
わーい活字化されてない史料ゲット〜。
郷士年譜の記録の方は以前に別の所で入手済だったんですが。

土佐史談会の方が岡田以蔵の事蹟についてサラッと説明。
京都で色々あって〜獄中で色々あって〜自白で仲間を巻き込んで斬首になって〜と、とまあそんな感じで…人前でハッキリ言いにくい話の多い人ですよね…。というか説明中誉めてる部分無かったじゃないですか(笑)史実知ってる人は色々気まずそうw「父の義平は心労がたたったのが同時期に亡くなった一因では」とか。以蔵が自白で仲間バンバン巻き込んでるあの状況、武市家とのつきあい含めて岡田家の人は死ぬほど気まずい立場だったと思う;あと「弟の啓吉しっかりした人でね〜」とかw
「武市さんは多くの弟子をよく教育しててえらいね〜」みたいなことを岡田家子孫の方が言っておられて、武市さんの心象が悪くないらしいのが意外でしたね。まあ大体のゴニョゴニョな事情はご存じだったようで、高知在住ではないそうですが歴史にも詳しい方らしく、土佐史談会の方に続いて色々面白いお話をされていました。山内家に対してはやはり、土佐藩政期の最初と最後の方で土佐の人をいっぱい殺した人というイメージになってしまうようです。武市先生については調べれば調べるほど偉いなあと思う今日この頃です。
ま〜私もね〜、天誅から幕末に興味を持ったクチなので武市瑞山と岡田以蔵についても一通り調べてみたんですが、実績に加えて史料上人間味に溢れまくってる瑞山と引き換え、岡田はあまり誉められた人物ではありません。創作物によっては美化されまくってますが完全に別物です別物。あれだけ恩を仇で返され、最期は心の底から以蔵を嫌悪していた瑞山が、以蔵の出てくる場で体よくダシにされてるのを見ると不憫でなりません。まあこうやって色々な催しに参加し、郷土史に関するお話をへぇ〜と思いつつボンヤリ聞いているのは楽しいことですね。
以蔵の墓の並びがおかしいのは後年移転してきたせいとかいう話をされていました。あと家紋に関するトリビアや岡田家に伝わっていた以蔵の墓参りに関するしきたりなど、面白いお話が聞けました。
弟の啓吉やその息子・虎輔についても色々なお話が。

参加者はカメラ持ったおじいちゃん率が高かったですね。GW中に県外に遊びに行って改めて思うのが、高知お年寄り多過ぎ問題。このことを嘆いていたら「全国の魁なんだよ!少子高齢化の!」と地元っ子に開き直られました(笑)

しかし岡田以蔵はねえ…。
事蹟上のマイナス要素がプラス要素を上回ってる人だと思うので、立派に活躍した他の人物を差し置いて持ち上げられているのはおかしいと常々思っているのですが。「最期まで忠誠を尽くした云々」とかいう事実と正反対の創作のイメージのみでこの人物を顕彰するのは間違っていると思いますね。

史談会の人の解説で、同墓地に眠る岩崎弥太郎の叔父で土佐勤王党員も教えを受けた儒学者・岡本寧浦や、勤王党の獄の際に以蔵の自白で一同ピンチに陥る中、仲間を守るために服毒自殺した武市瑞山の実弟・田内衛吉など、他の人物についても触れられていて嬉しかったですね。
以蔵よりもっとスポットライトが当たるべき人物はいるはずだと思うんですけどね…。
以蔵の悲劇的な創作ストーリーに陶酔するために瑞山を悪役扱いしたり、また以蔵をPRするために瑞山を都合よくダシに使おうとするのは止めてほしいもんです。

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池上季実子、緒形拳 他

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高知県東部で遊んできました〜岩崎弥太郎生家〜

続いて安芸市の岩崎弥太郎生家に寄ってきました。
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龍馬伝効果か未だに賑わっているようです。大河様々ですね。
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維新後に増築しているとはいえ立派な郷士住宅ですね。実際の弥太郎は龍馬伝みたいにボロボロではなかったと思いますよ(笑)分厚い『岩崎弥太郎日記』など図書館で手に取ったこともありますけど、また暇があれば目を通しておきたいですね。
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有名なアレ。
ちなみに弥太郎が志を書き残した逸話の残る妙見山の星神社は麓から徒歩2時間だか4時間だかだそうな。無理!

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観光ボランティアさんの話では、以前はこの生家は三菱の人が行事で使っていたそうですが、大河ドラマを機に公開されるようになったとか。隣でやっている「まる彌カフェ」は16時くらいに閉まってしまうらしいので、関連グッズに興味のある方はお早めにどうぞ。地元産のドライトマトがえらくキレイで美味しそうだった。この辺りはトマト栽培激戦区らしいですね。
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いい加減疲れたので安芸市内にある可愛いカフェ『CHEZ MON PERE(シェ・モンペール)』に連れて来てもらいました。ホッと一息。
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ドーム状の外観で内側もユニークですね。
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店内の壁半分くらいを埋めてる大型水槽に癒されます。
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イソギンチャクに隠れたこのカクレクマノミがずっとダバダバしていて可愛かった〜。魚にも個性ってあるのかな?
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プクプクしておいしそうなお魚ですね。

安芸市のカフェでは他に野良時計に隣接する高園茶屋と「そらそらビル」のア・ニュー・ムーンというお店が好評らしいので、次回安芸に来る時にはまた回ってみたいです。
そういえば安芸市立歴史民俗資料館は予約をすれば学芸員さんが展示解説をしてくれるらしいので、そちらも機会があればお願いしたいですね。長宗我部と戦った戦国時代の武将・安芸国虎や、土佐藩家老の五藤氏にまつわる歴史などに興味がある方は楽しめるのではないでしょうか。

高知県東部で遊んできました〜野根山二十三士の墓〜

田野町の野根山二十三士のお墓にお参りしてきました。
5月頭だというのに早くも陽射しが凶暴な感じの高知。これで真夏になったらどうなってしまうのと、毎年恐々としております(汗)
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アンパンマンの作者・やなせたかし先生が考えた奈半利駅のイメージキャラクター「なはりこちゃん」。お昼ご飯はおいしいと評判の駅前のカツ丼屋・豚福亭で食べました。
食後に奈半利駅限定いちじくアイスを食べつつ(甘さ控えめだけど風味が良い)、この辺に詳しい人の車で二十三士の墓所に向かいました。このアイス好きー。他でも売ってくれればいいのに。
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国道側に、二十三士墓所のある福田寺の裏側入口の案内板が。

野根山二十三士とは、元治元年七月二十五日、土佐勤王党の盟主・武市瑞山の釈放と、「尊王攘夷」をスローガンとする藩政改革を求めて武装決起し、藩から反乱軍と見做され集団処刑された人達です。
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二十三人分のお墓が並ぶと壮観ですね。これだけの人数が、河原で一人ひとり斬首されていったのかと思うと…。全員分のお花が供えられていて、綺麗に整備された墓所でした。
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「よしやこの 土にかばねは埋むとも 名をば千歳の松にとどめん」 
二十三士のリーダー格・清岡道之助の妻が、亡き夫を悼んで詠んだ歌碑が墓前に建てられています。

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武市瑞山の像。
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明治30年、当時高知県知事だった元海援隊士・石田英吉の発議により、この二十三士顕彰碑が建てられました。立派なものです。
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二十三士の名前は、
清岡治之助
清岡道之助
寺尾権平
柏原禎吉
柏原省三
木下嘉久次
木下慎之助
近藤次郎太郎
田中収吉
吉本培助
安岡哲馬
川島総次
檜垣繁太郎
千屋熊太郎
宮田頼吉
横山英吉
宮地孫市
小川官次
岡松恵之助
新井竹次郎
宮田節齋
豊永斧馬
須賀恒二

彼らの接点は、ただ近隣に在住していたというだけでなく、田野学館の教授、事務職もしくは生徒、安田の高松順三塾の門下生という共通項が挙げられます。吉本培助と宮田頼吉は武市瑞山の門弟でもありますね。
彼らの処刑から3年後、時代は明治維新を迎えました。

高知県東部で遊んできました〜中岡慎太郎館『天誅―尊攘派たちの正義』展〜

中岡慎太郎館『天誅〜尊攘派たちの正義〜』展に行ってきました!
やっぱ土佐勤王党が一番勢いがあったのはこの時期ですよね〜。
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今回はポスターがカッコいい〜〜w
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天誅については語りたいことが色々あるのですが、今ちょっとまとめる時間が無いのでまた後日追記します。
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この日は暑かったー。慎太郎像もなんだか暑そうに見えますね(笑)

『武市瑞山と土佐勤王党』平尾道雄

平尾道雄『武市瑞山と土佐勤王党』(大日本出版社峯文荘:1943年)のレビュー。
古い本だから大概ボロボロ。表紙が擦り切れてもう無いw本書は、

墨龍先生とは、土佐勤王党武市瑞山の異称である。蒼白な顔、角ばった顎、六尺に近い長身、剣に鍛えた逞しい五体に謹厳と誠実をたたえた風彩が、水墨の龍を想わせたのが、その異称の由来するところだと伝えられ、自らも亦時々はその書翰にも墨龍と署名した。平俗な言葉で「天皇好き」とも評された生れながらの尊王家で、王政復古を理想とし、佐幕的な公武合体論を藩是とする当局の弾圧に鉄の意志を以て応え、勤王党を結成して藩論を鼓動し、土佐をして薩長と並び勤王三藩と天下に呼ばせたのは、瑞山の至誠と信念の賜とせねばならない。   (p.1)

という風に始まり、最後は、

一藩勤王主義を完成した坂本も中岡も、王政復古を前にして、京都の旅寓において佐幕派暴客のため凄烈な最期を遂げたのであるが、その理想は山内容堂をはじめ後藤象二郎、乾即ち改め板垣退助等によって継承完遂せられた。しかも尊攘討幕をして一藩を振起せしめた武市瑞山と土佐勤王党の領袖や闘士はほとんど時代の先駆者として犠牲となったのである。これは明治維新の聖業にかがやく血の哀史として、永久に伝えらるべきものであろう。   (p.298)

と結ばれています。
さすが平尾氏、紹介する逸話や史料が要点を抑えていて、戦前の本ですが十分参考になります。『谷干城遺稿』の「隈山詒謀録」によると三藩主同時入京の密約後、瑞山と干城は協力関係になっていたんですね。
明治維新が聖業かどうかはさておき、土佐の勤王運動が「血の哀史」というのはその通りだと思います。
瑞山、龍馬、慎太郎、他の殉難者達、みな志半ばで斃れていきました。生き残った仲間に望みを託しながら…。
信念に命を懸けた人間が志半ばで死んでゆく、どれだけ無念だっただろうと思います。
私は自分の命より大切なものがある人間の生き様というのが好きですね。

さて土佐勤王党といえば血の気の多い人物が目立ち、それにまつわる数々の逸話が面白いのですが(というか尊王攘夷派はやっぱキャラ濃ゆい人が多いw)、その中で「心憎いほど深沈」と平尾氏に評されるような瑞山は、なんだか浮いてる人だなーという印象を、調べ始めた当初覚えたものでした。
ただ本人史料に触れた後は、喜怒哀楽の感じ方がストレートで激しく、良くも悪くも純粋すぎる性格の人だったのだと認識を改めました。冷血漢か熱血漢かでいえば間違いなく熱血漢です。
接した人がビビるか敬服するような人柄だったとも言われています。
武士として生きることに誰よりも真剣な姿勢が周囲の人間に影響するんでしょうね。
そして平尾氏に「瑞山の自重は悲痛な程深刻だった」と評される、瑞山のあの冷静さはどこからくるのでしょう。それは公私の区別を明確に付ける厳格な性格からきているのだと私は思います。ここまで言われるほど落ち着いてて方針がブレないからあの血の気の多い集団のリーダーが務まったんだろうなあ。

また土佐藩は上士と下士の対立によって生じる事件が有名ですが、佐々木高行は勤王党員が過激だった理由に土佐の身分制度を挙げています。
身分にあぐらをかいた士格(上士)より、文武を修めて実力養成に勉めた下士は、自然士格に対して抵抗する兆候が表れ、その後事件の起こるたびに士格が軽格に軽蔑される傾向を生じ、士格も亦昔日のごとく圧倒しようとして、互いに疾視反目した――と述べています。
また佐々木は「武市は謹直の人物であるから、手を尽して温和手段を取る様にしたが、御供先の面々や、国許に残れる末流の輩は、時勢に乗じて過激の事をやり、兎角藩庁を脅迫するような気合があった」と言う人物評を残しています。過激な人ばかりの集団で一人だけクールだと何か感じ悪く見えるのでしょうが、実際は武市さん、なかなか胃が痛い立場ではなかったろうかと思うw

武市瑞山は激情に走りやすい土佐勤王党員の正当性をある意味で保証してくれるような存在だったのではないかと思いますね。しかしやはり瑞山もまた、土佐っぽの燃える血に駆られて国事に命を懸けた一人ではあります。
品行方正で感情に流されないという点においては土佐人らしくない人物に見えますが、正しい事が大好きで間違った事が大嫌いという、単純といえば単純、素直でストレートでシンプルな土佐人らしいメンタルの持ち主でもありました。

土佐勤王党は人数が多いのが良い所ですね。一人が斃れてもまた別の誰かが志を継いでくれる。
しかし土佐勤王党の関連書籍というのは残念ながら非常に少ないです。
現在では『武市半平太と土佐勤王党』(このタイトルは平尾道雄『武市瑞山と土佐勤王党』のオマージュ)をはじめ、横田達雄氏の一連の著作が最も詳細かつ最新のものになっています。いずれも稀覯本ですが、この辺の歴史に興味のある方は機会があったら是非一読をおすすめしたいですね。

郷土史に興味を持ちだして良かったと思う事は、それまで手に取ることのなかった昔の本を読むようになったことですね。私は歴史好きというか本が好き、知識が好き、興味のある対象について考えているのが好きなので、興味を持つジャンルの幅が広がって良かったなと思っています。
プロフィール

Author:azoto
土佐藩についての話題が多め。

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