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土佐史談会講演~絵金と幕末祭礼文化~

kenzan.jpg
高知城のお堀の蓮が満開だった。
土佐藩初期の名宰相・野中兼山の邸宅跡、こうして見ると本当に城門のすぐそばなんですね。横の碑文にも書いてありますが、彼の一族は壮絶な末路を迎えました。

今日は土佐史談会「土佐の文化十講座」の、「絵金と幕末祭礼文化」の講演に行ってきました。
お話されてたのは香南市赤岡町・絵金蔵の横田恵蔵長。

近年研究が進んだことにより、通説に疑問符が付く部分も増えてきたそうで、依然として絵金さんは「謎の人」なんだそうです。
たとえば通説では髪結いの息子と言われている金蔵さんですが(楠瀬大枝の『燧袋』という日記の“新市町髪ゆひ何かしというものゝ子に金蔵といふがありて~”という記述が出所らしい)、ちゃんと苗字のある生まれだったという説もあり、「髪結いの息子」説は真偽不明なのだとか。
また、ものの本によっては「身長六尺(約180㎝)の大男」と言われる絵金さんですが、これはどうも間違いのようです。大正15年の若尾瀾水による『海南先哲教譜』では「大きなる坊主」、「お六尺(駕籠かき)となり江戸へ出で」と聞き書きされているのが、誤った解釈をされて伝わっているようですね。
一度は異例の出世街道を歩んだ絵金さんが失脚する原因となった贋作事件についても、明治→大正→昭和と時代が下るごとに、これについて書かれた文献の表現がエスカレートしていることが指摘されていました。
失脚してから再び表に名が出るようになるまでの絵金さんについては、記録のない「空白の10年」があるとされていましたが、新史料が出てきました。『岩井孫六日記』の記録から、歌舞伎や人形劇等の芝居が盛んな大阪や播州で修行していたと思しき絵金さんの消息が伺えます。絵金さんの芝居絵には、大阪の芝居の影響が強く見られるそうです。
そして絵金の絵といえば長らく泥絵の具(安価)で制作されていると言われていましたが、化学分析に出した結果、高価な岩絵の具で描かれていると判明したそうですよ。だから幕末から150年の歳月を経てもあんなに鮮やかなんだなあ。
そういえば絵金さん出生時の戸籍が見つかり、誕生日は十月一日だと確認が取れたそうですが、戸籍の載ってるのがどういう史料なのか気になっていたのに講師の方に聞きそびれてしまった、残念。

さて、幕末以降土佐藩全域でお祭りの場を賑わせた芝居絵屏風ですが、現在お祭りでの屏風絵の展示は県内十ヵ所くらいの神社などで細々と行われ、学芸員さん曰く「瀕死状態の文化」だと言われていました。
目を喜ばす娯楽が溢れ、地域の祭の有り方も昔とは変わっていく以上、仕方ない事なのでしょうね…。

横田さんは最後に、土佐独特の芝居絵文化の流行は絵金さんが火を点けましたが、その文化を育てたのは各地域の集落の人々や絵金の弟子達なんだと言っていました。
お弟子さんも県内全域に散らばってますね。弟子の紹介一覧の中に武市半平太さんや河田小龍さんの名前も。
そういえば小龍さんが描いた芝居絵や武市さんが描いた杉戸絵も神社に奉納されてたっけなあ。

今年は絵金生誕200周年なので色々なイベントが用意されているそうです。

ついでに今年の土佐史談会・土佐の文化十講座の内容を載せておきますね。

5月26日(土)
講師:横田 恵
「絵金と幕末祭礼文化」

6月29日(金)
講師:岡本 桂典
「四国霊場と六十六部」

7月22日(日)
講師:猪野 睦
「岡本彌太とその周辺」

8月19日(日)
講師:尾本 師子
「国沢新九郎と土陽美術」

9月29日(土)
講師:高橋 正
「黒岩涙香 ー人と足跡ー」

10月28日(日)
講師:橋田 憲明
「明治大正期の土佐の俳壇」

11月30日(金)
講師:野本 亮
「『土佐物語』など軍記物の虚実」

12月21日(金)
講師:永国 淳哉
「寺田寅彦の文学」

1月25日(金)
講師:永田 和子
「片山敏彦先生のこと」

2月22日(金)
講師:谷 是
「牧野富太郎の志したこと」

11月のが気になる。

ところで田岡典夫氏の『風折れ葦―土佐勤王党余聞』 (同光社:1955年)を最近読みました。
土佐勤王党に関係する人々の出てくる小説。
吉村虎太郎や那須信吾がいい味出してる(笑)掛橋和泉の最期は悲しいですね…。
土佐勤王党の血盟に参加した彼らが自らに架したのは、強く生きる勇気というより、捨て鉢の生きない勇気だったのかもしれません。現代より命が軽い時代だったとはいえ、やはり「命を懸ける」ってのは重い行為です…。家族や平穏な幸せを捨てて、弱さが許されない重たい生き方を選択したのですね彼らは。
「風折れ葦」の他にもう一つ収録されている「孤雁」は坂本瀬平のお話。
私もこの話と似たような傾向の空想はした事がありますw
後年の瀬平の扱いを見るに、たぶん本当にただどうしても彼らについて行きたかっただけの人だったんじゃないでしょうか。切ないですね。
でも相手からお断りされてるのに付きまとい続けるのはやっぱり良くないよw
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北川村に行ってきました

poster01.jpg
この日は講演&中岡慎太郎館の企画展目当てに出かけて行きました。
自由民権記念館の方も期間中行きたいね。

こうちミュージアムネットワーク主催の博物館巡回講座「武市半平太の手紙を読む②」、「禁門の変における土佐勤王志士」、凄く充実した内容でした!
それぞれ歴民館の野本亮学芸員と慎太郎館の豊田満広学芸員が講師をされていました。
何か見覚えのある人が後ろの方に座っていると思ったら、龍馬記念館学芸員の三浦さんも来てたみたいですね。最後にちょっぴり質問をしてみたり。

ちょっと予想外なほど非常に内容の濃い講演でした。
武市半平太の手紙を読むといっても、妻宛て書簡1~2通紹介して終わりだろうと思っていたら、まさかあんなに本格的な解説が始まるとは…。野本氏、普段は今ちょっと某BASARAで話題の長宗我部の方が専門だと言ってましたが、系統立てて分かりやすく説明してくれてました。
内容は、文久二年十月勅使下向の詳細な様子を妻・お富に伝える書簡から始まり、投獄後の慶応元年三月ごろまで…といっても最後の方は時間切れでしたが。
瑞山が容堂サイドをどう認識してるのかをピックアップ。
瑞山の批判は基本的に“君側の奸”に向けられ、容堂自身を責めません。主君に理想の君主たれと望む瑞山の忠誠心の表れ方はおおむね一貫しています。
野本氏、去年七月の『半平太“獄中の漢詩”発見』の新聞記事を取り上げ、例の夢上洛陽謀故人~の漢詩は、松岡司氏の「勤王党を弾圧する山内容堂への恨みは無限である」というような?解説では書簡との整合性がなく、この詩は「公武合体派への恨み」という解釈になるのではないかと言っておられました。
ま、あの漢詩に関しては、対象はどう見ても政変で尊攘派を追い落とした公武合体派だよね~と私も思います。
ああ…こうして順番に説明していってもらえると横田達雄氏の『武市瑞山獄中書簡』とか『武市半平太と土佐勤王党』を初めて読んだ時の記憶が蘇って懐かしい…といっても興味を持ちだしたのは去年の話ですが。こうしてプロの方に解説してもらえると、素人が漫然と目を通してるだけじゃ気付けない事を色々教えられますねぇ。

武市さんの手紙、特に妻宛ての奴は当時の男性には珍しいストレートな感情表現に驚かされるのですが、またそれに加えお冨さんに何でもかんでも手紙で伝えているのにも野本氏は驚かれてました。「こんなことまで書いちゃっていいの!?」みたいなw私も初読時は驚かされました。特に瑞山の獄中書簡が一級史料である事を強調されてましたね。やはり凄い事なんですよね、こういう状況をここまで詳細に伝えた史料がこんな大量にまとまって残っているというのは…。
こうして残された遺品の数々が、当時の人間の息遣いを生々しく現代に伝えてくれています。瑞山獄中書簡集大好きだよ

続いて豊田満広学芸員による「禁門の変における土佐勤王志士」。
『寺村左膳道成日記』による「文久三年七月の幕府宛建白書」、「文久三年七月山内豊範藩内諭告書」、「二十八士連判土佐勤王党員嘆願書」、二十三士の「同志に寛典を乞う上申書控」から各グループの政論を比較されてました。
また中岡慎太郎の状況認識と政論の変化についても触れられていましたね。なんか最初の方で吉村虎太郎の話もするといって結局触れられてなかったけど気のせいだったのかしら…。
さすがに中岡慎太郎館の人だけあって凄くいい笑顔で慎太郎の解説をしてくれました。
いやー、勉強になったなあ。
もっとアンケートに色々要望書いておけばよかったと帰ってから後悔…。
土佐勤王党の簡潔で正確な解説本出してください!とか主に天誅しか取り上げられない土佐勤王党の文久年間の目覚ましい政治活動ぶりとか連携プレー的な党員同士の関係とかももっと世に広めてください!とか
豊田氏も5館連携土佐勤王党特別企画展みたいな取り組みは今年だけで終わらせたくないと言っておられました。続くといいですねー去年は龍馬伝でどこの講演も幕末維新特集でウハウハでしたからねー私が。『流離譚』みたいに幕末土佐全般を扱った名作があればいいんだけどなー。

「東部地区の土佐勤王党と野根山二十三士」展にも行ってきましたよー。
清岡道之助の陣羽織や刀は今回初めて見たかも。
そして今回初公開の大石弥太郎&大石団蔵書簡!
この「大石圓先生書翰集」とか「大石家資料」にある手紙類は活字化されてるのかな…。
大石弥太郎、戊辰役中の父への手紙に、二本松城攻防戦の折に敵兵と一騎打ちして討ち取ったとか書いてますよ。やっぱこの時代に活躍した人は命懸けですね。

ツレが帰り道にちょっと運転ミスして凹んでた…。お疲れのところ済まなかったね。

『土佐國群書類従』完結!

幕末土佐の庄屋に生まれた吉村春峰による、土佐の歴史・地理・民俗・文学をまとめた一大史料叢書『土佐國群書類従』という本が高知県立図書館から年一冊ずつ出版されてたんですが、全13巻の刊行がこのたび完結。
図書館で記念講演があったのでおおまかな所を説明します。
面白かったですよー。

『土佐國群書類従』
江戸時代を中心とした中世末から明治初年までの土佐に関する378篇の史料を160巻196冊に整理編集。
第1巻(神衹部、法度部)、第2巻(主家部)、第3巻(系譜部)、第4巻(傳記部)、第5巻(傳記部)、第6巻(傳記部)、第7巻(災異部、漂流部)、第8巻(地理部)、第9巻(紀行部、歌文部)、第10巻(詩筆部)、第11巻(教訓部、釋家部、雑部)、第12巻・13巻(雑部)で構成。
稿本の大半は春峰十市庄屋時代に成ったといわれるが、その完成は没年の明治14年のこと。春峰は亡くなる直前まで史料整理をしていたらしい。貴重な史料を後世に残してくれてありがたいです。稿本は高知大空襲で燃えてしまったので現存してるのは写本になります。

その中から興味を引いたエピソードを抜粋。
「闇のうつゝ」(兎角舎虚魯理・著)
高村退吾事件について。
著者が昨今の武士の堕落を嘆く文章の後に、上士の井上左馬進が郷士の高村退吾を殺傷した事件を取り上げています。
ここで興味深いのは“日頃睦敷水魚の交りを結びながら、殊に御備の壱人を容易に切害に至るは残念至極、酔狂の仕方也”と二人はもともと友人同士だった事、酒の席での言い争いからついカッとなって相手を斬り殺してしまった事に触れ、著者は“酔い任せ”に相手を斬り殺した事を責め、酔いがさめてから改めて問い正し、“猶も法外を申候はば、得と覚悟いたさせ”つまりなおも無礼な事を言う様であれば、その場合は殺害すればよいと述べ、このような行いは侍の本意ではないと戒めています。
またこの郷士殺害事件は当初井上への処分が甘く、“片落成作配方にて、郷士用人は切捨の者と定目もなき戯言申役人も有之”と郷士の命を軽んじる役人もいたと著者は記し、結局この事件は郷士層の反発を招き最終的に藩重役の更迭、井上の禄召し上げのうえ仁淀川追放という処分でやっと沈静化したそうです。
しかし創作では「土佐では下士は犬猫以下じゃ~!」と単純化されてますが(そら去年の龍馬伝や)、上士と郷士の差別意識は結構個人差があるようです。

「患危憤怨録」著者不明(馬廻組の武藤小藤太ではないかともいわれるが異説あり)
万延元年成立の史料。吉田東洋とその一派・新おこぜ組を批判しています。東洋暗殺時の罰文と似ている表現が出てきますが、もしかしてこれが元ネタだったんでしょうか。
“其内父の為に不得止家来を成敗せし事あり。其敵打を恐れ、今に雨夜の往来更に出来ず。亦居間の四方は十重廿重に囲み、夜はろくゝゝ寝も得せざるより書見を思い付、博識になりし人也。”とボロクソに言われています。東洋が若い頃カッとなったはずみに家僕を斬り殺し、その家族の復讐を恐れて引きこもり勉学に励んだエピはこれが出典なのかな?この後、雨夜に暗殺されることになるのはちょっと運命的と言えなくもない。

「繙覽委細」、「簀子下儛」(鹿持雅澄・著)
著者はご存知武市半平太の叔父・鹿持雅澄ですね。
ペリー来航に対する幕府の弱腰な対応を批判したもの。しかし政治批判は危険な時代でしたのでコッソリやりたかったそうです。「繙覽委細(はらいせ)」ってほんとうに幕府への腹いせって意味だったの!?(笑)
鹿持雅澄は他に土佐日記や藩内の神祭歌の研究に関しても色々書き遺しています。

あと第五巻所収の「紺屋町聞出文盲」というのがユーモラスな内容でしたw
紺屋町界隈の人々の暮らしが綴られているのですが、松永屋兵左という変な商人が変な事ばっかりしてる話がなかなか笑えました。
他にも安政地震の記録、集団犬神憑き事件、漂流民、妖怪譚など面白い話が沢山聞けました
第六巻では広井磐之助という人物が、坂本龍馬らの助けで父の敵討ちを果たした事を「復讐録」としてまとめています。

幸徳秋水と明治の闇

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幸徳秋水についての講演に行ってきました。
なぜか幸徳秋水と植木枝盛の顔を間違えそうになる

一般的な幸徳秋水のイメージというと、社会主義者で無政府主義者、明治天皇暗殺を企てた罪で大逆罪を適用され死刑になった人物という認識ではないでしょうか。

大逆事件、別名・幸徳事件ともいわれていますが、実際に爆弾での天皇暗殺計画を準備したのは管野スガ、宮下太吉、新村忠雄の三名でした。
幸徳は暗殺計画を知らされて通報しなかった点で当時の法的にはアウトっちゃアウトなんでしょうけど(大逆罪は死刑しかない)、この事件に関しては悪くないといえばまあ悪くないんじゃないかなーという微妙な立場の人だったんですね。暗殺計画自体には参加していないので。
大逆事件では当初24名の死刑判決が出され、後に死刑12名、特赦無期刑での獄死者5名、仮出獄7名に改められましたが、上述の4名以外は暗殺計画には関係ない人達です。
裁判は一人の証人を調べさえせず非公開で行われた暗黒裁判であり、国際的な批判を受ける中、急ピッチで進められました。この事件は体制批判を行う社会主義者達を一網打尽に弾圧するという性質を持つものだったのです。

何故このような事件が起こったか?
維新後の日本では産業革命が進み、日本にも労働者層が生まれました。資本制によって拡大する貧富の格差、公害問題など近代化による負の側面が庶民に圧し掛かります。
急速に増大した社会の歪みは各地で労働争議を巻き起こし、社会の不条理・政府の不合理を批判する人々が生まれました。批判する側もカウンターとなる思想を西洋に学び、資本主義・帝国主義の問題点を批判。彼らは国際社会に乗り出した日本が近代国家の運営に必死な中で、社会の下層を省みない体制側に警鐘を鳴らした人々だったのです。
明治維新というと明るいイメージがありますが、要するに日本は新たな戦いのスタートラインに立ったという事なんですよね。軍の近代化が日露戦争等に間に合ったのは良かったんですが。
足尾銅山鉱毒事件で田中正造に頼まれ天皇への直訴文を書いた事もある幸徳秋水。
秋水は体制批判、汚職批判などの活動で政府に目を付けられていたわけです。

大逆事件が起こった背景には、明治時代の闇が凝縮されています。
師匠の吉田松陰を安政の大獄で亡くした維新の元勲・山縣有朋が今度は弾圧する体制側に。歴史って面白いですね。
社会主義者弾圧の為に天皇の権威を利用した事で良くない先例を作ってしまいました。
この後の歴史を考える上で、大逆事件は非常に象徴的な事件といわれています。

ところで坂本龍馬~中江兆民~幸徳秋水が民権的な意味で同じ系譜の人間であると言われております。えー?そうかな?
当初労働者の団結を訴えていた秋水も進まぬ社会改良に業を煮やしたのかどんどん思想が過激化し無政府主義を言いだす辺りは思想家として私は肯定しかねますが…。
中岡慎太郎あたりがこの時代まで生きてたらどう思ったでしょうね。彼の原点は庄屋、彼の心の中には農民の苦しみを救いたい一心で国事に奔走した部分もあったと思います。
やはり彼も民を踏み潰しながら国家の発展に邁進する道を選んだのでしょうか…。

ちなみに足尾銅山鉱毒事件の最中、時の農商務大臣・陸奥宗光の二男が銅山王・古河市兵衛の娘婿養子となっていました。農民の立場を考えるべき農商務大臣が問題解決に取り組むどころか企業家とズブズブ…。


拍手お返事です。
>mk*様
酒蔵ロード劇場良かったですよ~。ぜひ一度行かれてみてください。
やはり学芸員さんに解説を頼もうと思ったら問い合わせは必須ですね。
佐川は信吾さん達縁の地ですもんね私は田中光顕も結構好きなんです。軽薄なこと言ってたりするかも知れませんが感情的なところが何か憎めなくて…叔父さん大好きですし(笑)

おや、土佐史談会のHPが…

土佐史談会のHPがいつのまにかリニューアルされてますね。
土佐史談会
販売図書のpdfも更新されてるのかな…?
以下今年の講演情報などを。
土佐の偉人十講座
5月22日 (日)
野本 亮 「長宗我部氏の発給文書について」

6月26日 (日)
澤田 勝行「一条教房・房家父子小京都中村の街造り」

7月22日 (金)
渡部 淳 「山内一豊」

8月 6日 (土)
山泉 進 「(仮題)幸徳秋水」

9月30日 (金)
猪野 睦 「中江兆民の生き方と現代」

10月29日 (土)
松岡 司 「野中兼山遺族」  

11月20日 (日)
矢木 伸欣 「(仮題)林有造、竹内綱」
 
12月16日(金)
林 一将 「谷千城の生涯」

1月 7日 (土)
公文 豪 「植木枝盛」

2月26日 (日)
谷 是 「浜口雄幸の生涯」

場所  :高知県立文学館ホール時間 午後:1:30~3:30
参加費 :無料(会員優先)参加人数:100名
申込方法:ハガキ・電話・FAXにて受付

去年は龍馬伝にちなんで幕末維新期の人物ばかりでしたが今年は幅広いテーマを取り扱ってますね。
4月には長宗我部家の子孫の方が講演に来られていたようです。
9月に室戸市の方で慎太郎&龍馬の講演もあるそうですが室戸まで行くのはちょっとキツいかな…
台風高知をそれていきましたねー。
安芸市の堤防が250mにわたって倒壊してしまったとか…南海地震大丈夫かいな
プロフィール

azoto

Author:azoto
土佐藩についての話題が多め。

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