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武市瑞山獄中書簡~以蔵は日本一の泣きみそ~

横田達雄氏編『武市瑞山獄中書簡』から岡田以蔵着牢後の様子が記されている瑞山の書簡を紹介します。

十二月十二日

 七日の文、たしかにうけ取候。先/\寒つよく候へとも、みな/\御きけん、そなたふじ、めて度存候。
 爰元、此間内、少しせんしやのきみにて、こしいたみ、もみニでももましたれハなをるぐらいの事なれと、先/\、ねんのため、いしやニかヽり、けふハはりどもしてもらい、ちとよく相成候。ほんのすこしのことニ付、気遣無用ニ候。
 扨、この間内ハ、下からもだれも出ず、けふハひがきか出たけんど(檜垣が出廷したけれど)、拷問もなく、誠にしづかな事にて候。
 おとついハ、この北へ入ておる婦人が下へ落され、拷問にてよほどつよき事にて、たヽくやらうげたけんど、ぶつすりともいわん。誠に/\男まさりにて、めづら敷婦人にて候。夫に付ては、以蔵の事をおもひ出候。誠に婦人にても聲を出さんことおもへハ、以蔵がよふなものハ誠に日本一のなきみそとおもひ候
 扨、雄之丞の事、色/\御申越、あれハ誠ニさわがしき男にて、よほどかまんな(我慢な:我儘な、強情な)よふなものにて候へとも、どふゆうものぞ、ふしぎニしんせつニしてくれ候。外の人へハそれほどにはせず、よふでも(呼んでも)すくニはいかず、一トくせある男にて候。夫ゆへ、外の人は雄之丞をわるう云候。されとも、我等(横田氏註:「等」に複数の意味はない)へはふしぎにしんせつニしてくれる。此間、たばこも二度とりニやり候。のちニいく時も、はやみてましたか(無くなりましたか)と云候。とふゆうものそ、此間内ハたばこをよけのミ、みてたと云た事なり。又、衛吉(横田氏註によると田内衛吉)が拷問ニあう時ニ、ふだん、もの云があらいきに、役人どもが、尚、がいニ(乱暴に)するろふと言た事ニ一もうそハない。又、たヾ、へら/\云てついしよふ言よふな物てハない。ぞんがい心ハよきものにて候。されども、(以下断欠)


この手紙では気丈に拷問に耐える女性の様子に触れ、それとは対照的な拷問に情けなく泣き喚いていたという以蔵の様子を回想しています。
以蔵のアレっぷりに瑞山もドン引き。
以蔵の何がアレって、「天誅」という名の集団リンチでそこそこ有名になっていたような人間の筈なのに、自分が拷問される番になると恥も外聞もなく泣き叫び出すあたりがね、かなりアレな人間性の奴だったんだなあ…と。
横田氏の指摘によると以蔵が拷問を受けたという記録が確認できるのは一度きりで、あとは聞かれるがままに何でもホイホイ答えたのではないかとの事。さもありなん、井上佐一郎暗殺の際に、一緒に参加した瑞山の実弟・田内衛吉にうっかり手を踏まれたとかどうでもいいような事まで吐いてましたからね、岡田以蔵は。

ここに至るまでの以蔵の落ちぶれっぷりは目を覆うばかり。昔は普通の人だったのに…郷士の子弟として生まれ、教育を受けてきた人間の誇りがあるならこうなる前に自害しておくべきだったのではないでしょうか。捕縛される前に自害した同志もいるというのに。拷問死した島村衛吉などは悲しくも壮絶な最期でした…。
おまけに着牢早々、他人のフンドシで自慢話をべらべらと…。功名心が強く思慮に欠ける性格だったんでしょうね。
武市さんは以蔵のこと、最期は死ぬほど嫌っていましたが、身内含む同志が以蔵の自白に巻き込まれたこと以上に、以蔵のこの人間性そのものを嫌悪していたのではないかと思います。昔は身内同然に仲が良く、瑞山も以蔵の事を何かと気に掛けていましたね。しかしそれは全部無駄になりました。
このような人物に尽くされたなどと言われる武市瑞山が哀れです。他の党員と比べて、以蔵が特別瑞山のために何かしたなんて記録は一つもないのに。
記録上の以蔵はただ、勝手に落ちぶれて苦しい境遇の仲間の足を更に引っ張ったことだけが特徴的な人間です。それを根拠の全く無い想像であたかも以蔵が純粋な心の持ち主であるかのように語り、冷遇されてもなお健気に瑞山に尽くした好人物であるかのようなイメージを抱かれているのは地元の維新志士ファンとして不快千万。瑞山も草葉の陰でさぞ嫌がっているのではないでしょうか。

手紙の後半部分では、雄之丞という名の牢番が瑞山に何くれと世話を焼いている様子が述べられています。「雄之丞はワガママなひと癖ある人物だけど私にだけは親切にしてくれるんだよ。不思議だね。きっと悪い人じゃないんだろう」とお冨さんに雄之丞とのやり取りを伝えています。
獄内・獄外の連絡を可能にしてくれる牢番の協力者達は、勤王党の獄中闘争において命綱のような存在でした。こうして親切にしてくれる人は特に労ってあげて欲しいと、瑞山はしばしば妻に指示を出しています。
牢番を任せられているのは、近隣の村から交代で来ている農民たち。投獄された土佐勤王党員に対し、彼らは親切で同情的でした。農民層の人間が国事犯にここまで肩入れするあたりは土佐藩ならではなのかなあ。山内家に反骨の気概を示して死後祀られた薫的和尚の逸話などもありますしね。
中でも瑞山の慕われ方はスゴいというか、一種独特なものがありました。牢番を籠絡して~とか洗脳して~とか言う人もいますけど、そういうのじゃなしに、単に武市さんの人柄が好きだっただけなんじゃないかと思いますけどね。
だって獄中でわざわざ毎日同じ時間にキッチリ寝起きして、体を拭いたお湯のまけたやつで床の拭き掃除までするような真面目ッ子さん、思わず労りたくもなろうと思う。「何か知らんけど大変そうですね、お茶でも飲みます?」とか言いたくなるw
それにしても書簡で田内衛吉(瑞山の実弟)と島村衛吉(瑞山の妻の従兄弟)がどちらも「衛吉」と呼ばれているので、注釈がないと混乱しますね。お冨さんは紛らわしくなかったのかなあ。
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土佐藩についての話題が多め。

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