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安政南海地震を後世に伝えた徳永千規

幕末の土佐に国学者・徳永千規という人物がいました。
武市瑞山の学問の師でもあった彼ですが、赤岡の役場に勤務していた頃、安政の南海地震に遭遇し、これを記録に残したことでも知られています。

薊野の真宗寺山にある徳永千規のお墓。
tokunaga01.jpg
以下お墓の脇にあった説明文より。

徳永千規(1761~1810)
幕末の国学者。体は小さかったが学問を好み、岡本寧浦や田内菜園に漢学を学び、鹿持雅澄らに国学を学ぶ。その後、郡方に召し出され赤岡町で子弟を教授した後、文久二年藩校「致道館」の教授となる。その間、郡方で赤岡の陣屋にいた時に安政の地震に遭い、その体験を通じて大きな自然石に「懲毖(ちょうひ)」を刻み、後世に地震の教えを残している。


この石碑は香南市(旧赤岡町)の飛鳥神社にあります。
石碑の内容は、徳永千規が見た南海地震の様子を記し、宝暦の大地震を昔話の如く思い油断した事が今回の被害拡大につながった、地震はいつか必ず起きるのだから、対策を怠らず油断することのないように、といったものになっています。

土佐勤王党の獄の際は、教え子であった武市半平太、島村衛吉のために「右ハ幼少ノ節ヨリ讀書相手仕候譯ヲ以相交往来仕候處、~~於私情モ傍観仕候ニ難忍、旁以不顧多罪奉言上候間、被為加御憐愍厚御詮議被仰付度奉存候。」と二人の寛典を請う上書を藩庁に提出しています。
また彼の文書は『徳永千規筆記抄』にまとめられています。
この中には本間精一郎に関する記録や土佐勤王党の罰文なども収められていますね。

sawada.jpg
お墓の近所にある「沢田マンション」。
高知の九龍城とか言われて最近注目を浴びてるそうですね。
これもまた面白い歴史を持つ建物ですが、現代の基準では建築基準法違反で行政の悩みの種だそうです。
南海地震の際には倒壊する危険性が高いのではないかと危惧されております…。

安政の南海地震は嘉永七年十一月五日(1854年12月24日)。
今から150年ほど前ですね。
その前の宝暦南海地震が安政の地震の約150年前なので、今回もそろそろ来るのではないかと言われておりますが…。

ところで気持ち悪いのでスルーしていましたが、以前から岡田以蔵関連の記事にアドレス付きでコメントしてくる変な人がいます。
ハンドルネームがReinaとかu_giliとかコロコロ変わってますが、本人のtwitter上で死ねとか南海地震で高知が沈めばいいとか岡田以蔵の子孫の人を殺すとか子孫の家に放火してやるとか失礼なことばかり言ってました。しかし「新選組刃義抄アサギ」というマンガの岡田以蔵の大ファンのようです。意味わからん…。
たぶん従来の悲劇的な岡田以蔵像が崩れたのがイヤなんだと思いますけど。
以前のプロフィールによると福岡県在住だそうですが、平和な高知に物騒な事を言わないで欲しいものです。
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土佐藩についての話題が多め。

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