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二十八士連判 土佐勤王党嘆願書

武市瑞山の釈放を訴えて武装蜂起した野根山二十三士の悲劇については地元ではそこそこ知名度があると思いますが、同時期に藩庁に対して嘆願書をもって瑞山らの釈放を訴え出た、28人の土佐勤王党員のことは殆ど知られていないと思います。
宮地佐一郎編『中岡慎太郎全集』(勁草書房:1991年)からこの二十八士に関する記事を抜粋しますね。

 「二十八士連判、土佐勤王党員嘆願書」

尊攘之大典 多分今更申迄も無御座候。
(中略)
於御国論確定屹度御盛二可被為至と草葬之者迄も躍然奉仰望候処、如何御事欺今以人心疑惑、賢愚之向所ヲ不知。
加之海岸厳重之御沙汰無之、御国が文武盛興之御模様も不相見 甚敷二至而は商売交易之勢日々盛二、士民華奢之風、月二長じ内憂外患太平遊惰之習ニ泥 動スレバ勤王抔卜申事、一座之戯言二致候様子、実二不安次第奉恐入候事共二候。
(中略)
今更瑣々之罪科ハ被捨置、一過之愚忠御仁察被遊、御寛大ニ御取置可然様被存候。此節何トナク申伝者迄ニ御糾問被為及、附てハ先年四月八日故参政吉田氏横死之一条 殊更御糾明ニも可相成哉二御座候、此等之儀は不容易柄こて、決て彼人々杯知覚ハ有之間敷。
市井之間種々之取沙汰於てハ、萬ー可倍トも不奉存、彼等万々厳罰被処候事ニ罷成り候れハ此向如何之義御不為之筋可生も難測様奉存候、不而巳、京師之御沙汰を以、斯ク被仰付置、今二至右等御糾明二相成候てハ、人心乏疑惑抔増甚輔、私共ニおいても 乍恐、強て方向相立兼候儀御座候。私共乍微賎三百年来之御国恩二奉浴候上ハ、枉而彼人々ニ阿党仕訳ハ万々無御座候。勿論軽挙妄動 仮初ニも国家ヲ見捨候儀抔之儀ハ不存寄、何卒報国之萬一ニも哉卜一死ヲ以奉言上候間、若不審之儀御座候ハゝ、私共え厳罰可被仰付候。不堪感激懇願之至二候。
 
 右子(元治元年)六月十三日政府ヱ差出
吾等奉申上候而物者、恐ながら国家之重ニ対シ幽囚輩之義、張大
ニ申立侯様御聞取も如何と奉存候得共、只幽囚之輩之為而己に
而は無之、御合国之為、御寛大之御所置被仰付度、左侯時ハ
自然人心之去就、国是一決、賢愚立知之一端トも可為成(なさるべく)と
奉存侯。己上
 門田為之助  川原塚茂太郎
 田所庄(荘)之助  岡本恒之助
 佐井虎次郎  立辺(島)地磯吉
 片岡孫五郎  谷作七
 阿辺多司馬  上田楠二
 細木核太郎  北川源五郎
 平石六五郎  上田官吉
 三原兎弥大  仲(沖)野平吉
 西山直次郎  池知泰(退)造
 田中作五(吾)郎  岡本猪(恒)之助
 村田馬太郎  山本四郎
 森助太郎   大石弥太郎
 久松喜代馬
御足軽類
 滝馬 良馬 四郎馬
〆  二十八人


門田為之助以下二十八人連名のこの書が提出されたのは元治元年六月十三日。
藩庁による土佐勤王党の大獄は文久三年九月二十日から断行されました。これに対して城下近辺の徒士・川原塚茂太郎(龍馬の親戚)や、香美郡野市郷士・大石弥太郎(土佐勤王党の盟約文起草者)らが、寛大な処置を嘆願した連判状の写しの内容が上の資料になります。また土佐藩西部・幡多地方尊攘派リーダー、樋口真吉がこの嘆願書の起草に協力したと伝わっていますね。
この時期は丁度、六月五日に京都三条小橋で池田屋事件が起き、脱藩し坂本龍馬と行動を共にしていた土佐藩士の望月亀弥太、北添佶麿、藩命で上京していた野老山吾吉郎らを含め、多くの志士が殉難しています。
また中岡慎太郎はこの頃、石川清之助と変称して池田屋騒動直後の京都に入り、長州藩邸に潜伏していました。
 
『中岡慎太郎全集』によると、松野尾孝行集録、土佐之国史料類纂「皆山集」第五巻第十六章、高知藩維新形勢始末史料稿(三)元治元年問に、「獄中の半平太等冤罪の建言」として、字句に若干の異同があるものの、上の文が載せられているそうです。そしてこの嘆願書が提出された状況を次のように伝えています。

此余幽囚徒の遠族等、皆用捨して協議ハなすといへども、本より庁ニハ出ず事私情二捗るの嫌あるを以てや也。十三日藩主の祖を祭れる藤並神社の旅所二集合し、乃ち神前二坐して国家の為め
鞠究尽悴厥志を貫徹せん事を誓ひ、相与二藩庁二至る。大監察小八木答ふるに申請の筋、篤と考慮すべき旨を以てす。後日藩庁川原塚茂太郎、島地磯書を召喚し小監察石川石之助、呶々書面の不可を諭し、且日、足下等の自ら許して忠義となす所以者(ゆゑんは)或ハ其道を失するに似たり、啻(ただ)二余輩の見ならず老公(容堂)の御意も亦応さに爾るべしと。茂太郎初め僻伏勤聴す。石之助語数々、老公の御意と称するや勃然色を作して日く、是亦老公の御意なるか。石之助陳弁して日く、否、老公の御意と謂ニあらずと。茂太郎曰く、忠義の道如何ニ至ってハ某等心已に熟す、固より人言を待って後ニ知るものニあらず、今日の事仮令ひ老公の御意と雖ども翻す能ハず、況や足下輩の言をやと、辞色凛烈犯すべからず、石之助竟ニ強ゆる能ハずして止む。


曖昧な態度を取り続けた容堂をこの時までは信じたかったのでしょう。「今回の処罰は容堂の意志でもある」という藩庁の役人の言葉に衝撃を受けつつ、川原塚茂太郎が小監察である石川石之助に、自分達の信念が固い事を改めて伝えると言う内容になっています。
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