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検証・井口村刃傷事件(3)

続いて土佐藩の上士であった佐々木高行の井口村事件に関する記録を紹介。

『保古飛呂比 佐佐木高行日記』文久元年三月より

一同四日、同夜土佐郡井口村ニ殺人騒動アリ、
 藩士 宇西孕ノ住 山田廣衛・御茶坊松井繁齋両人節句ノ馳走ニアヒ、大酔トナリテ中須賀ヨリ小川二沿ヒテ永福寺前ノ土橋ノ詰二来カヽリシ時、山田二衝突シタル人アリ、暗夜ノコトニテ誰トモ知レズ、先生(二人連ハ)コレハ失體卜一言ノ詫ヲナシテ行キ過ギントス、山田ハ酔中トテナカ/\キヽイレズ、先方モ遂二胸ヲ定メテ言論シタリ、山田ハニクキ奴卜抜刀二及ピケレバ、先方モ之二對シ遂二刀傷二及プ、山田ハ名高キ腕前ナレバ、遂二相手ヲ斃シタリ、此二於テ、松井ヲシテ人家二行キテ、提燈ヲ借ラシム、然ルニ餘リニ渇ヲ覚エケレバ、川端二降リ立チテ口ヲウルホス所ヲ、何物トモ知レズ後ヨリ切リ付クルモノアリ、山田ハ深手二屈セズ、フリカヘリテ之卜切り結ビタレドモ、途二切害セラルヽニ至リタリ、油断大敵トハ此事ナリ、
 山田ノ殺セシハ軽格中平忠一郎ニテ、忠一郎ノ連ハ宇賀某ニテ、山田・中平刀傷二及ブヤ、小高坂村池田虎之進ナル中平ノ賓兄二急報セシカバ、池田ハ早速現場ニ駈付ケ、右ノ始末二及ビシ由、


参考までに高行の『勤王祕史 佐々木老侯昔日談』から土佐藩の身分対立についての説明を引用します。

(全体土佐は長宗我部の遺臣等が多くて、殺伐の気象が一般に存して居る。上を凌ぎ我見を貫こうというような国風であったので、山内氏入国当時より階級制度を厳重にして、それらを抑え付けようとする政策がとられた。長宗我部の遺臣には作り取り郷士というような特典を与えてあるが、それら軽格と士格との間には、非常に尊卑階級があったもので、もし士格に対して無礼の挙動でもあると、切り捨てられても仕方がない。(中略)その軽格-郷士以下は大部分が長宗我部の遺臣で、しかも財力といい武力といい、決して士格に譲らないものが多い。それらが無礼とがめなどから葛藤を生ずることが珍しくない。


土佐藩に於いて士格と軽格の刃傷事件はいくつも記録に残っていますが、井口村事件は幕末の土佐勤王党結成直前の時期の出来事なので関連付けて考える人が多いですね。
全く無関係とはいいませんが、士格と軽格の対立が一直線に土佐勤王党結成のきっかけになったという説明は不適切なのではないでしょうか。たまにそういう説明の本を見かけますが…。佐々木高行が述べているような身分差別への不満は、土佐から志士が出た原因のあくまで一要素に過ぎないと思います。
勤王党結成の背景には、山内容堂が安政の大獄で処分を受けた事に対して「君辱めらるれば臣死す」と立ち上がったという一面もあれば、土佐藩では長い伝統を持つ南学・国学を学んだ人間の層の影響もあると考えられています。また学問を通じて、身分や藩内の出身地を超えた縦横の繋がりが生まれたのも大きいでしょう。何にでもかんでも「身分差別への不満」という分かりやすい理由を取って付けて片付けようとしないで欲しいものです。
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