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真山青果『坂本龍馬』

『真山青果全集第七巻』(講談社:1975年) 収録『坂本龍馬』の感想。
この戯曲は発表誌『女性』に昭和三年一月~五月まで連載され、昭和三年八月~沢田正二郎主演で帝国劇場で上演されたものです。龍馬ブームを作った作品としては坂崎紫瀾『汗血千里駒』に続いて二作目になるもので、司馬遼太郎『竜馬がゆく』もこの真山青果版『坂本龍馬』の影響を受けた部分があると思います。

勝海舟門下の龍馬が訪ねてくる土佐勤王党在京時代、薩長同盟前後、近江屋事件の四部構成になっています。
まず面白いのが冒頭。京都の武市瑞山寓居で、岡田以蔵ら土佐勤王党員達が天誅の相談をしている場面からいきなり始まります。

岡田「何んだ。まだ話が極らないのか。籤にせいよ、籤に。六人もあれば澤山だ」
何某「籤には、不同意者があるのだ」
何某「おれは籤に弱い。いつも籤に洩れるから厭やだ」
岡田「誰だ、光之進か」
何某「二度も三度も場に出合ふ者がある。一度も鞘を拂はない者がある、それぢゃ公平とは云はれない」
何某「そこが運だ。籤々!」
何某「厭やだ。おれは引かない。運否天賦で動くのは厭やだ」
岡田「はヽはヽヽ。誰か譲って、光之進を入れてやれよ。光之進の三尺無反は御隠さまお聲がかりの代物だ。一度気持ちよく抜かせてやれよ」

この辺は『武市瑞山関係文書』に収録されている『五十嵐敬之談話、岩崎英重筆記』、『天誅見聞談』を参考にして書かれていますねー。天誅に希望者が殺到してクジ引き大会になった事があるというのは実話です。
以前の記事で触れたのでリンクを貼っておきます。
◆『天誅見聞談』

こういうノリで良かったのに司馬遼太郎氏のせいで…ハア。
岡田以蔵は創作では使い勝手のいい人物ですね。
もっとも実際の事蹟上は散々瑞山・他同志の世話になっておきながら身を持ち崩したあげくに拷問によって自白、土佐勤王党の獄崩壊の切欠になったという事のみが特徴的な人物であり、私は嫌いなんですが。事実と真逆の龍馬伝の描かれ方など、見ていて実に気分の悪いシロモノでした。
この後、坂本龍馬が手際の良い絞殺方法を伝授してくれたり、田中光顕が『維新風雲回顧録』で語っている「自分は正月の紙衣を着るのが夢だった~」という思い出話が武市瑞山の台詞になっていたりと、元ネタを知っていると面白い部分が多かったです。ある人の逸話を別人の台詞に持ってきたりしているんですねw

主に坂本龍馬が武市瑞山や、桂小五郎や、中岡慎太郎と熱く語り合う場面が見所です。龍馬よく涙ぐみます。会話が熱いです。役を割り振られてる人物達が、実際こんなだったかと聞かれるとそれはまた違うと思いますけどね。

この戯曲の中でなぜ龍馬が頻繁に涙するのかというと、作品の主題のためでしょうね。

眼先の見え過ぎるため自分の主張と行動とが刻々に変わって行く、其れが第三者からは小才子とも裏切り者とも見える『坂本龍馬』はさうした先覚者の悲哀を主題にした脚本である。(以下略)
伊原靑々園――八月四日、都新聞

上演された芝居に対する批評のこの一文が、主題を端的に説明していると思います。
実際のところは、坂本龍馬含む脱藩土佐勤王党員らはバラバラに行動しながらも、好むと好まざるとにかかわらず土佐をホームグラウンドとして活動しており、別行動中でも反目し合っているわけではなく他の勤王党グループと接点を持っていましたので、裏切り云々という状態ではないのですが。

作中では
龍馬「次に来るのは封建制度の破壊です。」(p.500)
龍馬「俺の倒幕論は、一徳川家を叩き潰す意味じゃない。人間を窒息させるこの封建制度そのものヽ破壊を主眼としてゐた。」(p.528)←この後に龍馬が政論を語る長い台詞が続くのですが、この辺りにマルクス主義に傾倒していたといわれる真山青果が龍馬に託したテーマが滲み出ていますね。龍馬め含め実際の志士達が封建制の打破を目標にしていたかというと、必ずしもそうではないとは思いますけど。

あとがきで紹介されている「戯曲『坂本龍馬』の構想」という覚え書きで、青果は次のように記しています。

「世は彼の外面のみを見て、彼の功績を称し、彼の敏聡を云ふ。衷心に苦しみたる彼を視ざるなり。試みに彼の陣中秘録を読め。人は必ず血痕斑々として、そこに悶え苦しむ彼の呻吟語を聞くなるべし。彼は彼自身を克服するために、いかに苦しみ、いかに慨きたるか。
 彼は遭難の数日前、卒然として、誰か俺を牢に入れてくれないかと叫びたりと云ふ。この語、十年以来、龍馬傳に接し龍馬を想ふごとに、常にわが耳に新しく聞くやうに感ぜらるヽなり。彼は何故にしかく自己を恐怖せるか」

真山青果は坂本龍馬像をこのように捉えていたようですが、今見るとなかなか新鮮な人物像ですね。実際の坂本龍馬がこんな人だったかというと、私はそうは思いませんけれど。「彼は遭難の数日前、卒然として、誰か俺を牢に入れてくれないかと叫びたりと云ふ」の出典があるのかないのか分からないので、ご存知の方おられましたら教えていただけると嬉しいですね。

ちなみにいまや高知のランドマークとして有名な桂浜の坂本龍馬像は、この真山青果『坂本龍馬』に感動した高知出身の早大生・入交好保氏が発起人となって龍馬像建立運動を起こした結果、今あそこに建ってものです。入交氏も著書をめくるとやはりマルクス主義的な思想の影響を受けているようです。現代は現代で司馬史観の弊害が~などと言われていますが、この方達の時代にもそれはそれで思考にバイアスが掛かっていて、そういう思想のブームみたいなものが興味深い。
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