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土佐勤王党の血族①

土佐勤王党を調べていて気付いたのは、血縁者同士の加盟が非常に多いという事ですね。
他にも師弟関係、同門・友人同士の人間がまとまって加盟しているので、まずはこの血縁関係の人たちを、興味を引いた所からグループ別にまとめてみようと思います。
私が書くと絶対誰か名前が抜けてそう…

まずは島村家。
ここは武市瑞山の妻・お富の実家に当たります。
武市さんが実家の仁井田吹井から、結婚を機に島村寿之助の住居がある高知城下の新町田渕に移り住み、道場を共同経営するなどして、互いに親しい間柄でした。
島村家から土佐勤王党に加盟した者は
お富さんの父・源次郎の弟であった島村寿之助、
お富さんの弟の島村寿太郎、
島村寿之助の姉の子である島村真潮(外内)・衛吉兄弟らの名が挙げられます。
富裕な郷士であった島村寿之助(見事なハゲ頭だったので武市さんから入道様と呼ばれていた)は香美郡野市村に広大な領地を持ち、容堂の身辺警護のために五十人組が出立した際は、甥の島村寿太郎と相談し、田地三町歩を惜しげもなく売却してそのための資金を提供したそうです。瑞山投獄の際も自宅預かりの身となった島村寿之助らは、同志間で密書のやりとりをして瑞山の救出に尽力します。
他に島村家分家筋の島村左伝次。七卿落ちに同行し戊辰戦争に参加、維新後は働きぶりを高く買ってくれた大村益次郎の誘いも断り帰高、志士の顕彰に尽力しました。

ちなみに武市瑞山と坂本龍馬は、この島村家と、時計強盗事件で函館まで逃げた山本琢磨(後に沢辺琢磨)の山本家を挟んで親戚関係として結ぶことができます。
この山本琢磨の実弟・山本三治も土佐勤王党員。中岡慎太郎達と一緒に五十人組の一員として土佐を旅立っていましたね。
山本琢磨・山本三治兄弟や島村真潮・島村衛吉兄弟はお富さんの従兄弟にあたります。
一方山本兄弟は龍馬の従兄弟にあたると、こういう形の親戚関係になってる訳です。

また土佐勤王党には3名の上士が加盟していたと伝えられていますが(この3人とは別に新留守居組の家の出であるとされる平井収二郎が上士なのかどうかは異論があるそうな…本人の扱いは郷士みたいなんですよね)、このうちの一人、留守居組の家の出である一瀬源兵衛の妻は瑞山の妻・お富の実妹にあたり、土佐勤王党首領の瑞山とは縁戚関係だったわけです。このように資金面、人材面で、瑞山は親類に大いに助けられていたのでした。

勤王党員の小笠原保馬も武市さんの親戚にあたります。父の後妻が武市半平太の姉・美多であったことから、土佐勤王党結成後、江戸での血盟第一陣に名を連ねていました。
ちなみに武市さん以外の血盟第一陣参加者と言われる人物は以下の7名。
大石弥太郎   
島村衛吉
間崎哲馬    
門田為之助
柳井健次    
河野万寿弥
小笠原保馬
この人達の間には特に強固な信頼関係があったと言えるでしょう。
瑞山の義叔父であった国学者・鹿持雅澄の門下生であった者や、瑞山と同じく小野派一刀流麻田勘七道場で学んだ者の名が見受けられます。この辺の人達は上士ともある程度交流があったとみてよさそうですね。
インテリ層のコミュニティでは実力があれば出自を問わず尊敬しあう関係が築かれていた様な気もする。
しかし調べてると皆さん複数のグループで接点があったりして面白いですね。昔の人って社交的だなあ。
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土佐藩についての話題が多め。

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