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土佐勤王党の血族②

坂本龍馬と土佐勤王党の縁者のお話。

龍馬と土佐勤王党領袖・武市瑞山が親戚なのは割と知られていると思います。
親戚同士での加盟が非常に多い土佐勤王党、龍馬の親戚も勿論他にも加盟しています。

まず龍馬の兄・坂本権平の妻・千野の弟、川原塚茂太郎。龍馬にとっては義理の兄。
龍馬の姉・千鶴と結婚した高松順蔵の息子・高松太郎(後の坂本直)。
龍馬にとっては甥っ子ですね。また太郎はかつて武市さん達の剣術修行の旅に途中合流しています。
また龍馬の妻であったお龍の妹・君枝と結婚した千家寅之助(後の菅野管兵衛)。
管兵衛は写真が残ってる隊員の中ではなかなか男前なのではないでしょうか。
ちなみにお龍と君枝さんが一時期住んでいた芸西の地にはこの姉妹の像があるんですよ。
長岡謙吉(変名前は今井純正)も血盟者だったっけ?
長岡謙吉は龍馬の継母・伊與の親戚の養子…という、血は繋がってませんがやはり親戚同士となります。

この中からは高松太郎、千家寅之助、長岡謙吉が海援隊に入隊。親戚だけあって龍馬と親しい人が多かったんでしょうね。
お龍の弟・楢崎 太一郎(後の黒沢直次郎)も海援隊と行動を共にし、龍馬の傍で働いていました。

川原塚茂太郎については瑞山&龍馬の双方から頼りにされていたようです。

龍馬が茂太郎に宛てた手紙には、龍馬は兄の権平から、ゆくゆくは坂本家を継ぐべく養子になって欲しいと再々頼まれていたが諦めてくれ、他の人を養子に貰って欲しいと相談しています。

坂本龍馬書簡 川原塚茂太郎宛 文久三年八月十九日付
家兄より京より大坂までおこし候文ニ付、さし出申候存意。 
 彼養子のつがふは積年の志願ニて、先年も度々申出候得共、兎角兄が心配に相掛候事なれば終に立服致候ほどの事ニて候ハ、雅兄ニもよく御存の所にて候。
又、兼而雅兄が御論ニも土佐一国にて学問致し候得バ、一国だけの論にいで、世界を横行すれバ、又夫だけの目を開き、自ら天よりうけ得たる知を開かずバならぬとハ、今に耳ニ残居申候。一昨年頃にも、今年今日有ハ相分申候故ニ、存意書を認候て家兄ニも出し、親類共ニも相談致しくれ候。其文ニも勢ニよりてハ海外ニも渡り候事も、これ可有故、猶さら生命も定兼候。且又龍馬年四十ニ相成り候まで修行仕度、其時ニハ兄上ハ御年六十ニも及候ものなれバ、家政も御らん被成候には今の内より可然人、御見立被下度との文も有之候。其文猶御らん被下度候。今時の武稽修行と申ハ、元亀天正ころの武稽人の如く、時々戦争の場に出合、実の稽古致し申候よふ相成申候。当時於江戸も弥攘夷と申に相成、勝麟太郎殿其事に與、元より幕よりも重く被命候事ニて候。猶龍馬らも要ニ有之候て、江戸よりの書状八月廿八日ニ参り、同九日ニ大坂を発足致事ニ相成候。
右の件ニ候得バ、元より天下の事ニ引くらべ候得バ、一家の事かへり見るにいとまなし。又すこしも家兄の家の後致し候事は、念を出すべき事ハ無之候。龍馬が内に帰らねバ養子もできず、家兄にまで大きに心配相かけ候とならバ、又々出奔か死か可仕より外なし。何卒以前の御心ニ変り無之候時ハ、養子のつがふ御つけ被成下度候。早々。恐惶謹言。


えらく込み入った事情を相談されています。茂太郎は坂本家と親密な交流があったようですね。

また武市先生が投獄された際には、茂太郎は獄外の同志と連携して釈放運動に参加、また投獄された小畑孫三郎の家族が生活に困窮すると、孫三郎本人からの依頼で家族への生活費の工面を行うなど、広く同志を支援していたそうです。
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