FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

検証!岡田以蔵伝説?

タイトルは前回のパクリです

岡田以蔵ね~、創作のイメージが九割みたいな人なので今回は「何故」史実と異なり過ぎるイメージが付いたのか検証したいと思います。

まず1928年(昭和3年)に出版された『土佐偉人伝』寺石正路著より岡田以蔵の人物評を抜粋。

岡田宜振通稱は以蔵土佐郡江口村の人後新町に住す天資剛勇にして武技を好み躯幹魁偉にして偉丈夫たり(略)
文久二年藩主山内豊範に扈し京師に上る此頃攘夷の説大に起り海内騒然たり諸国の浪士京畿に雲集し尊王佐幕の論相軋る宜振薩藩の激徒田中新兵衛と意氣相投じ屡々佐幕の黨に天誅を加ふ人皆股粟す(略)
長士藤井良節の書に曰く洛下の形勢も次第に必迫いたし候薩の田中土佐の岡田等の狂暴は却て大事を謝るやと竊に気遣ふ事に候云々(略)


そしてここからが要点。

然るに文久三年武市氏の大獄起り志士連坐し縛に就くもの多し宜振又捕へられ藩獄に下さる是より日夜拷問の苦痛に逢ふ宜振其平生の強暴に似ず痛楚に忍ぶ能はず藩吏佐市郎殺害の事を白状す是に以て獄決す慶應元年五月十一日宜振始め同閥関係者久松重和、村田克昌、岡本正明等皆獄中に斬られ雁切川原に梟せらる宜振年二十八
宜振初勇にして後怯なり人皆之を惜む武市瑞山も亦其粗暴にして眞勇なきを以て大事を謀らず然も少壮殺人嗜みて人を斬る草の如く其擧往々常軌を逸す
末路投獄同志皆鐡石漢にして拷問の惨苦なるも忍んで一言を發せず然るに宜振獨り其苦痛に忍びず罪案を白状し累を同志に及びし遂に勤王の大獄を羅織せしは遺憾といふべし
或はいふ宜振の罪案を白状するや同囚中の志士檜垣直枝は彼を勵まし曰く拷問の惨烈なるは我同志初より期する所なり子痛苦に忍ぶ能はざれば速やかに其罪を自白して早く死地に就け必ず同志の累をなすなかれと宜振是より慚憤し刑場に上る従容笑を含み瞑目せしといふ其辭世の歌にいふ君が爲め~(以下略…尽くしてない、全く尽くしてないよ!

同日に処刑された岡本次郎・村田忠三郎・久松喜代馬に続いて紹介されていますが以蔵の項のみ先に(附録)と置かれ小さい扱いになっています。別に偉人じゃないですからね。
京都で脱藩して江戸の長州藩邸に逃亡し世話になっていた事は記録されず、“佐幕の党に天誅”(※実際に土佐勤王党員が狙ったのは安政の大獄関係者)、“皆鉄石漢”(※拷問に耐え抜き出獄後戊辰戦争に参加する位元気だった人達もいましたが、斬首になったのは拷問に耐えられず自分の罪状を認めた人)など一部事実と異なる点もありますが概ね合ってます。

そして、岡田以蔵が合祀された高知県護国神社の昭和58年11月の記録によると『維新殉難志士 合祀者 御祭神名簿』 にはこう記されています。
【武市瑞山に心服し、勤王活動に入る。独断による暗殺多く除かる。
土佐藩元監察 井上佐市郎を斬る。藩に捕らえられる拷問の末自白の類同士に及ぶ。
慶応元年5月11日 28歳 合祀を申請不許可の記録あり。墓所 薊野 真宗寺】

こちらの記録では岡田が同志に自白で累を及ぼしたため、当初顕彰を拒否されたとありますね。その後昭和に入って殉難者には変わりないので合祀。
当時の土佐勤王党員の人物評を総合すると、岡田は“酒色に溺れ身を持ち崩したあげく、自白で仲間に累を及ぼし皆が弾圧される切欠になった人なんて顕彰したくありません”と、こんな感じの扱いでした。
仲間が国事に命賭けてるの脇目に遊郭にドハマリして犯罪者にまで落ちぶれるなんて国事ナメてるとしかいえません。
そりゃ着牢時の「え?以蔵のアホが捕まったの?うわーあの親不孝者死ねばいいのに」という武市さんの反応は至極当然です。ちなみに着牢時、岡田が牢番に大声で長州でどうだの吉村がどうだのと自慢話をしているのを聞かれています。救いようが無いなこの人…。
この後も「この間は女性が立派に拷問に耐えていましたよ…それに引き換え以蔵の泣き喚きっぷりときたら、あいつ日本一の泣き虫じゃないですかね」とか「また仲間が入獄した…以蔵のせいだろうなハラワタ削れそう」とか以蔵に関する武市先生の記述は仲間を巻き込んだことへの恨み節が続きます。

以下誤解されてるであろう部分の訂正を。
●武市先生が「身分の低い以蔵を蔑んでいた」というのはこの頃の様子から連想された部分もあると思いますけど、身分は全く関係ありません。むしろ昔は岡田も武市さんの親戚の若い衆に混じり親しい間柄だったようです。単にこの時点で以蔵が軽蔑されるようなことをしたから軽蔑されてるだけなんですね
これが訂正点その1。
●訂正点その2。勤王党同志間書簡「さて岡以過日拷問の節様々の事共口外仕り存掛なき人数々獄入りに相成り~」にみられる通り、以蔵が拷問でバンバン自白し仲間の入獄が相次いだため、一時は毒殺が検討されたのは事実です。またこの時期拷問に耐えきれなくなった人には自害用の毒薬が配られ、瑞山自身も万が一の時の為の自害を視野に入れてたんですけど。で、実際は同志による以蔵の説得が行われ、毒殺は決行されること終わったようです。同志間書簡に以蔵が同士に迷惑を掛けた件、「不義を血を出して後悔」しているという記述が出てきます。
そもそも拷問で即自白したので「毒殺を恨んで自白」ではありません。これは司馬遼太郎氏の創作。
●訂正点その3として「武市先生のために天誅していた」というのはありえません。
単に尊攘派公家が政権を握り、今なら大手を振って復讐できるという事で、安政の大獄で志士弾圧に関与した者を薩長土の志士が合同で追い掛け回してボコボコにしていただけですから。
またテロというと陰惨なイメージがありますが、志士の仲間内では天誅と功名とは密接に結びついていたんですね。
尊攘派弾圧に加え、御所の女官をレイプした事で猛烈な反感を買った目明し文吉の暗殺会議では天誅希望者が殺到し、クジ引き大会が行われたという逸話が残っています。
岡田が一人脱藩しなければならなくなり長州藩邸にいた仲間の下に合流していること、独断の天誅や牢番への自慢話の様子から、人一倍功名心の強い性格が伺えます。
●訂正点その4、岡田以蔵が無学で貧困層の出身というのも創作です。何故こんなイメージが付いたのかは後ほど解説します。

彼に事実と異なる悲劇的なイメージが付いたのは歴史を題材に取った創作物の影響ですね。
岡田以蔵の人生と末路を初めて劇的に描写したのが真山青果の戯曲『京都御構入墨者』&『人斬り以蔵』。(『真山青果全集第八巻』収録)。それぞれ昭和二年と八年に発表された物ですが、司馬遼太郎版がこの作品を元ネタにして『人斬り以蔵』を書き、これ以降創作物の岡田以蔵は皆これのイメージを踏襲しています。
戯曲っていうのは演劇の上演のために執筆された脚本や、上演台本の形で執筆された文学作品の事。
この二つの作品、『京都御構入墨者』は未完作品なので中途半端な所で終了。岡田がモチーフですが主人公名は「野添 於莵馬」となっています。坂本龍馬に翻弄される役回り。ちなみにコレの三、四ヶ月前に戯曲『坂本龍馬』を発表してますね。
真山青果版『人斬り以蔵』の方のストーリーとしては、投獄後放免され自宅に妹といた所に仲間が口封じの毒酒を持って来て、三人でこれを呑み皆で悶えながら、以蔵も封建社会を恨んで死亡していくという感じになっています。賑やかそうだなあ…と思ったら実際そういう批評されてた(笑)未完で終わった『京都御構入墨者』のオチに当たる部分なので一幕物、この場面だけの作品です。

でこの全集のあとがきによると、

この劇が純粋に左翼思想で書かれていることを、発表当時の読者は気付かなかっただろうか。青果が左翼の思想書を耽読したのは、いつごろからであるか分明でないが、私は先生の蔵書中に大杉栄からマルクス・エンゲルス全集に至るまで、たいていの本が揃っていたのを知っている。かつて「坂本竜馬」を書いた時、竜馬が自分の思想のあまりに早い変化に我から畏れを感じ、「誰かおれを殺してくれる者はないか」とつぶやく場面があるが、竜馬の思想はこの時には、すでに共和制から共産制までの未来を見透かしていただろうと、青果は語っていた。「坂本竜馬」の作から五年後の「人斬り以蔵」が、左翼劇と気付かせない左翼劇であることは、べつだん不思議ではなかったのである。

つまり歴史物のような体裁で書かれていますが、これはテーマ的には一種のプロレタリア文学なんです。
当時の「新劇」というジャンル自体、社会主義的なテーマを追求するのが流行だったからなんでしょうけど。

だからこの作品の性質上、岡田以蔵は貧者で無教養で利用され騙され封建制を恨みながら死んでいくという人物像に造形されてしまったわけですね。
土佐勤王党の活動って反幕的ではあったと思いますけど、反封建的な所があったかどうかは疑問です。基本的にはむしろ封建的守旧性を強調する性質の活動内容なんですよねー。王政“復古”目標の朝廷擁立工作だし。

その後司馬遼太郎の「人斬り以蔵」などでこのイメージが強化され今に至ると。
虐げられた者のルサンチマンやら他人に思考を丸投げした人間の悲劇やら諸々のテーマが組みこまれ、文学作品としてのクオリティは上がっていると思いますが、歴史上の岡田以蔵という人物とこれら文学的テーマは全くの無関係です。現代風の猟奇殺人のイメージも付いてるかなー。確かに“其擧往々常軌を逸す”とも言われてますが…。記録のみを見た場合、岡田以蔵は単に土佐勤王党出身者イチだらしなかっただけの人なんですよね(笑)
(いや仲間に及ぼした被害の大きさを考えると全然笑えないんですが)

しかしこうしてアレも創作コレも創作と判明して実像に迫れたのはよかったんですが、岡田以蔵の末路って知れば知るほどショボくて創作とのギャップにげんなりしちゃう
というかアレですよね、よく司馬さんなんかの歴史小説を読んで「実際にこんな事があったんだ!」みたいにホイホイ『小説』の話を鵜呑みにできる人がいるもんですよね。私にはどうもこの感覚が理解できません。司馬版「人斬り以蔵」みたいな師弟関係、いくら江戸時代でも実際にあったら気持ち悪いっつーの!
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

azoto

Author:azoto
土佐藩についての話題が多め。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
FC2カウンター
にほんブログ村Ranking
ブログランキング・にほんブログ村へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。