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読書を始めた坂本龍馬?

坂本龍馬に関するこんな逸話がありますね。

江戸での剣術修行を終えて土佐に帰国した龍馬は心機一転読書を始めた。
ある日同じ軽格の門田為之助と大石弥太郎が龍馬の元を訪ね様子を見に来た。
大石達は龍馬が普段から本を読まないことを知っていたので、直接会って噂の真偽を確かめようという魂胆であった。
確かに読書中であった龍馬に何を読んでいるのか大石が尋ねると、『資治通鑑』を白文で読んでいると言う。試しに読み下しをさせてみたところ、読み方がめちゃくちゃだったので大石は笑い転げた。
しかし詳しく龍馬の話を聞いてみると文章の大意は掴んでいるので、大石は龍馬に関心したのであった……。

見るからに創作くさい話なので出典を探し中です。
誰かご存知の方おられましたら教えてください。
『幕末維新の元勲、青年坂本龍馬の偉業 』藤本尚則 (敬愛會:1957年※非売品)を読んでますがこれにも出てきますね。
顕彰用の本ですが史料からの引用パートと、読者に優しく事件の合間を埋めてくれる創作パートが入り混じってるタイプの本で分類としてはほぼ小説。『汗血千里駒』のエピソードが引用されたり、清風亭で話し合い中の龍馬と象二郎の所に谷干城と中浜万次郎がやってきたりします(笑)楽しいですね補足しておくと龍馬と万次郎の接点が確認できる史料はありません。
よそで見た事のない話も載っていましたが、何かの出典にコレを使うのはあんまりしない方がいいだろうなあ…。
だって「筆者が父親から聞いた」って話に、間崎哲馬の切腹の際に、龍馬も仲間達と共に間崎の自宅に待機し、切腹の知らせを聞いた際は着物の下に着込んだ白装束を露わにし、殉死しようとしたって伝わってるんだもの
わはは、とんでもない(笑)この時期龍馬は土佐にいないですよー。
千頭清臣『坂本龍馬』大正3(1914)年も同タイプの本だった気が。『維新土佐勤王史』と土田泰蔵『坂本龍馬』明治30(1897)年の分も見比た方がいいのかな。誰か調べてくれないかな。

ちなみにこのエピソードで面白いのは 大石弥太郎と門田為之助という人物がセットで出てくる所。二人とも土佐勤王党員です。

時期は別々ですがどちらも勝海舟の門下生だったという共通点があります。
大石弥太郎は龍馬より先に勝海舟の門下生になっていたと伝わってますので、或いはこの人が脱藩後の龍馬に会った際に勝海舟の所に行くことを勧めたのでは?と言われていますね。
土佐勤王党盟約書の起草者でもあります。一向にスポットライトが当たりませんが維新後も色々あって実はかなりの重要人物なんですよ。安岡章太郎『流離譚』では後半大活躍でした。この人の初公開史料が中岡慎太郎館の次回企画展で展示されるらしく楽しみにしております。

門田為之助の方は坂本龍馬と同時期に勝海舟の門下生になったようですね。
文久二年十二月十一日付の『海舟日記』に「当夜、門生門田為之助と近藤長次郎来たる」とあります(龍馬は入門に関する記録に名前が無いが同時期だろうと推察される)。
しかしこの人は土佐に帰国したようで、大石弥太郎達と主に武市瑞山ら獄中同志の解放運動を行い、決死の覚悟で同志と共に連名の嘆願書を提出し藩庁に働き掛けていました。彼は結核で慶応三年十一月六日病没。龍馬達が暗殺される九日前のことでした。

拍手お返事
>mk*様
いえいえ私とか全然ニワカ歴女ですよw回りからも歴女と呼ばれています。
この紙袋は特徴を抑えててかわいいので三種類貰ってきました。元々は地元の観光案内が入ってたんですよ。
BASARA…地元の歴史が新しい光を浴びてこれはこれで喜ばしいことですよねw
私は「ウソ・マコト~」の著者である横田達雄氏の本を読んでこの道に足を踏み入れたようなもんなので、今となってはこの著者の本が入手困難で歯痒い日々です。
コメント頂けると更新の励みになりますwありがとうございました。
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土佐藩についての話題が多め。

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