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山内容堂の晩年

布団の上に横になって何枚かの掛け布団の上に美しい紫色の繻子の上掛けをかけていたが、その派手な色彩は病人の蝋のような色をした顔や手と際立った対照を成していた。(略)まだ彼は四十七歳(※)なのにどうしてあれほど年取って見えるのか不思議に思った。まるで彼は自分の命を使い果たしてしまったようにみえたのである。
※実際にはこの時四十二歳
    アルジャーノン・B・ミットフォード『英国外交官の見た幕末維新』より

ミットフォードが記した病床の山内容堂の様子です。
龍馬記念館のHPに維新後だいぶヨレヨレになった時の様子が分かる写真がありますので、参考にリンクを貼っておきます。目付きが荒んでいたとはいえ昔は割と男前だったのに、40代でお爺さんみたいになってますね。

幕末維新期の土佐で私が好きな人物は武市瑞山、坂本龍馬、中岡慎太郎が同率1位くらいで4位に山内容堂がくるという感じになっております。特に武市さんは不当に悪く言われがちなので肩を持ちたくなっちゃいますね
容堂さんもなー、アル中とか大名ならではの勘気が酷薄に見えて感情移入しにくい人かもしれませんが、興味を持って調べてみると複雑な背景の持ち主でなかなか魅力的な人物でした。まず遠州掛川から来た山内家の人間には珍しい土佐人ハーフでしたからね。容堂は妾腹で、母親は大工の娘だったと伝わっています。
そんな彼が庶民派だったかというと全然そんなことはなく、逆に本来藩主になれない特殊な生まれだったということが却って彼に土佐藩と山内家を背負う立場の重さを強く意識させたのではないでしょうか。容堂の意欲的な行動を見てるとそんな気がしますね。

容堂さんの詩を一つご紹介。

『二州酒楼に飲す』
昨は橋南に酔ひ
今日は橋北に酔ふ
酒在り飲む可し 吾酔ふ可し
層楼傑閣 橋側に在り
家郷万里 南洋に面す
眦を決すれば 空濶碧茫々
唯見る 怒濤の巌腹に触るるを
壮観却って此の風光無し
顧みて酒を呼べば 杯 己に至る
快なる哉 痛飲放恣を極む
誰か言ふ 君子は徳を修むと
世上 解せず 酔人の意
還らんと欲すれば 欄干の灯 なお明らかに
橋北橋南 尽く絃声

明治二年ごろの作とされています。江戸両国の遊郭にあって土佐の波濤を懐かしみ、「世間の者には自分の気持ちなど解らんよ」と内心思いつつ華やかな絃声を背後に去っていく容堂の姿が浮かんでくるようです。
しかし武市瑞山を切腹させた事を、維新後病の床でうなされるほど後悔していたみたいですが、下戸で潔癖症の武市さんが生き延びても容堂公とは絶対ウマが合わなかっただろうな…w

容堂が亡くなったのは明治五年六月二十一日のことでした。享年46歳。
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土佐藩についての話題が多め。

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