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武市瑞山の諱

武市瑞山の小楯という本名は、瑞山の叔父であり万葉集研究で知られる国学者・鹿持雅澄の命名であると伝えられています。
松山秀美『歌人群像』(鹿持雅澄の章)に「瑞山初め諱を美楯といったが、雅澄はその不遜を戒めて小楯と改めさしたといはれる」とありますね。
また美楯・小楯という名前は万葉集防人歌の「醜のみ楯」からきているのではないかと言われています。こんな歌です。
 今日よりは かえりみなくて大君の 醜のみ楯と 出で立つ我は
詠み人:火長 今奉部与曾布(いままつりべのよそふ)「万葉集巻二十・4373」より

また、顕宗天皇紀に見える功臣に伊予来目部小楯という名があります。

瑞山の諱に関して少々興味深い記述が、瑞山の「在京日記」に出てきます。

文久二年閏八月廿六日
朝、五十より呼に来る、収と同道にて行く、長よりの事也、夫より良吉へ行、帰る、田中来る、妙心より数人来る、機会なし、村井修理へ行く、畄守なり、帰り、田中、弘瀬、岡田、同道にて祇園へ行き、噌々堂と云に行、大口出雲輔を呼、面会、日暮頃帰宿、
明朝、長州より飛脚立の由、玄瑞より申来、
 高徳    薩人
桜木に 写せば唐の 言の葉も 大和心の 花にぞ有ける
ふしの根(富士の嶺)の 雪とひとつに うつもれて 箱根の道は いつかひらけむ
 忠
おろかにも 我ものとやは おもふべき 君の御楯と 生れてし身を

この日は五十嵐文吉、平井収二郎らと長州との関係の調整か、勅使・大原重徳の勅書改竄に関してか?、何らかの用事があったようです。日記の後に「薩人」の詠んだ歌が記されています。三番目の歌は瑞山の諱と尊皇の志士としての心映えを讃える表現のダブルミーニングになっているように見えますね。この日行動を共にしていた事が確認できる薩摩の人間が田中新兵衛なので、あるいは新兵衛から瑞山に贈られた歌なんでしょうか?

「高徳」というのは児島高徳という鎌倉~南北朝時代の人物の事。
後醍醐天皇配流の折、天皇の救出を図るも果たせず、美作の院ノ庄にて夜間、中国の故事に倣って天皇の宿所の桜の木の幹に「天、(越王)勾践を空しくすることなかれ。時に范蠡無きにしも非ず」と刻み、隠れた忠臣の存在を天皇にアピールし喜ばせたという話の伝わる人物ですね。
日記に記された歌がもし田中新兵衛の作ったものだとするなら、意外と教養のある人物だったんじゃないでしょうか。まあ実際の所、誰からの歌なのか、個人からなのか相手は複数人なのかも判然としないのですが。

「在京日記」読んでると、他にも真木和泉の娘さんから聞いた歌などもメモしてありますね。
ちなみに武市半平太の「瑞山」という号は在京時代に使いだした様子で、平井収二郎の日記などを見ても半平太の呼称が以前から使っていた「吹山」と入り混じっている時期があるようですね。この時期交流の深かった久坂玄瑞への尊敬の念から、「玄瑞」から一字取って号を「瑞山」に改めたのではないかと横田達雄氏が指摘していました。
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