FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

武市半平太の小説

『武市半平太 (現代小説の発見 2)』島本 征彦(沖積舎:1985年)を読んでました。
武市瑞山って、かなり小説で描写しづらいキャラクターの人だと思うんですけど、探せばあるもんですね。
歴史小説の類は読んでも史実が気になって娯楽性を感じられないので、この本が小説として面白いかどうかは分からないのですが、読みながら色々思う所はあり。
『竜馬がゆく』なんかは歴史小説というお堅そうなジャンルの中で、登場人物のキャラが立って、主人公に感情移入して万能感が得られるような工夫がしてあってと一種漫画的な面白さがあり、人気が高いのも頷けます。
要するに『竜馬がゆく』って、主人公の後ろでモブが「大した奴だ…やはり天才か」みたいに持ち上げてるアレと同じ構図なんですよね(笑)

島本征彦『武市半平太』に収録されているのはは、「闇と光―絵金と小龍―」、「武市半平太―土佐勤王党次第―」、「一領具足記―浦戸一揆始末―」の三本。著者の島本氏は収録作品について「少し誇張すれば、作者自身にとって私小説であるといえなくもない」と述べています。確かに三作には共通するテイストを感じますね。投獄から判決までの武市瑞山の状況を著者がロールプレイングした感じで、何というか武市さんらしさは感じられませんでした。
獄中の瑞山を描いた「武市半平太」は『維新土佐勤王史』、横田達雄『武市瑞山獄中書簡』、そして悪名高い(笑)嶋岡晨『土佐勤王党始末』を参考文献に挙げていますが内容は割とまとも。以蔵毒殺ネタが否定されてないのは残念ポイントかなw
「一領具足記」の参考文献は山本大『土佐長宗我部氏』、『一豊公紀』、『土佐物語』。
土佐勤王党の獄に浦戸一揆と“直情径行の土佐人が欺かれ殺されちゃうよシリーズ”を立て続けに読まされると、何か悲しくなりますね地元の歴史が。歴史は繰り返すというか…。

容堂さんには容堂さんの立場があり信念があるってのは重々承知してるんですよ。
容堂にとって瑞山がいかに厄介な人間だったかも分かります。
でも土佐勤王党の弾圧の際の武市瑞山と勤王党員達の事を思うと、もうちょっと他にやりようがあったんじゃないかとも思います。臣下を「騙す」のではなく「説得する」というような方向の選択肢は無かったのかと…。甘いかな。
でもあんな最初のうちはニコニコして途中で形勢が変わったら一転弾圧に切り替えるような手法、統治とはそういうものだと言ってしまえばそれまでですが、改めて一歩引いた目線で見ると、やはり騙される立場の武市さんが不憫です。こう思ってしまうのは、大量に残る獄中書簡で瑞山の喜怒哀楽が生々しく感じられるからでしょうね。
最初に将軍継嗣問題に際して朝廷寄りの姿勢を示したのは容堂さんなわけで。容堂の派手な行動は、彼が妾腹の中継ぎ藩主という微妙な地位で、色々と肩身の狭い立場だった事の裏返しなのではないかという気がしないでもないです。
あれかな、土佐勤王党員達は容堂の見栄と保身に振り回されちゃった感じになるのかな…みたいな風にちょっと考えちゃうんですよね。だからこそ容堂自身、維新後に後悔していたのかもしれませんが…。
容堂は自分をちやほやしてくれる人が好きで刃向かう人が嫌いでした。まあこれは普通の感覚かもしれませんが、デリケートな立場で神経質になっていたことは事実です。

山内容堂は将軍継嗣問題で井伊直弼の怒りを買い隠居、安政の大獄で弾圧を受け、土佐藩品川下屋敷に謹慎処分となりました。これを受けて、「君辱めらるれば臣死す」と結成されたのが土佐勤王党です。
以下は桜田門外の変を知らされた容堂が読んだ漢詩です。

亢龍喪元桜花門  
敗鱗散与飛雪翻    
腥血如河雪亦赤  
乃租赤装勇無存    
汝到地獄成仏否  
万頃淡海付犬豚
  

首を喪った亢龍(井伊直弼)に対する、ざまあみろという感情が溢れていますね。
「井伊の赤備え」で知られる彦根藩の武士達は役立たず、汝は地獄行きになり成仏できるだろうか?(いや、できないだろう)、彦根の領土は犬か豚にでもくれてやれという、激しい憎悪を叩きつけるような詩です。弾圧された者の恨みの深さを感じますね。
この後容堂の腹心の部下である吉田東洋が土佐勤王党に暗殺されてしまうのは何とも皮肉なものです。尊王攘夷派が失墜した時期には瑞山が切腹を命じられ、さらに後、倒幕の機運が高まり、これに反対する藩内佐幕派の野中太内がやはり容堂から切腹を命じられ、武市瑞山と同じ短刀で割腹して果てたのも同様。

最後に巻末の大原富枝氏の解説を抜粋。

三篇のなかでは、武市半平太―土佐勤王党次第―が、やはり圧巻である。
もうずいぶん以前のことになるが、武市半平太の獄中で描いた絵を観たことがある。自画像があった。遺品の数々もそこにあった。凄愴の思いに胸ふたがれたものである。
土佐勤王党の首領であり、最後まで藩内に踏みとどまって、藩ぜんたいを勤王にもってゆこうとして、ついに非業の死を遂げた。その生涯を決定した因縁の人が山内容堂であった。
(略)
山内容堂という、複雑で時に怪奇でさえあった人物が、ここでは読者を納得させるだけの明確な像を結び出している。殿様、藩主という位置にいて、酒に溺れ、漁色にうつつをぬかしている一方で、鋭く時代の波を遊泳し、たくさんの若い有能な下級武士たちを無念と悲憤の思いのなかで殺しながら、遂には大政奉還の立役者としての輝く自身の場を獲得した。傍若無人に生きながらある種のペシミスティックな体臭をも漂わせていた人物のようでもある。文学的才能にもすぐれたものを持ち、ある意味ではなかなか魅力的な男性でもあったと思われる。(略)この二人のそれぞれの魅力を秘めた男たちの、光芒を放つ運命の接点を描くことは、土佐に生を享けた著者の念願であったろう。

大体納得の容堂評。

ちなみにここまで書いたのは小説の内容とはあんまり関係ない話です。
はじめて瑞山獄中書簡を読んだ時はストレートな心理描写と日々の出来事の細かい記録ぶりを楽しみながら読んでいたのですが、何か改めて見比べると昔の一領具足と同じ様な目にあってるなあと思っていたら色々思考が飛躍しました。
しかし上(容堂)からは欺かれ、下(以蔵)からは足を引っ張られ、ついでに現在では司馬遼太郎の創作ネタを鵜呑みにした人に不当な中傷を受けてと武市さんは踏んだり蹴ったりな目に合っていますね。
なんか私の中の武市さんのイメージがどんどん幸薄い人に…。

本書を読んで非業の死、無念の死に含まれるものの重みを改めて考え直しました。
武市瑞山には瑞山の、容堂には容堂の運命があったということなのでしょう。
これら理不尽な死こそ歴史の醍醐味なのかもしれません。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

azoto

Author:azoto
土佐藩についての話題が多め。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
FC2カウンター
にほんブログ村Ranking
ブログランキング・にほんブログ村へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。