スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

坂本龍馬と勝海舟の出会い

龍馬と海舟の出会いについて。

坂本龍馬。あれは、おれを殺しに来た奴だが、なかなか人物さ。その時おれは笑って受けたが、沈着いてな、なんとなく冒しがたい威権があつて、よい男だったよ。

海舟の談話を記者が書きとった『氷川清話』に収められている有名な逸話ですね。

また勝海舟自身が書き記した『追賛一話』では、

坂本氏、嘗て剣客千葉重太と伴ひ、余を氷川の僑居に訪ねへり。時に半夜、余、為に我邦海軍の興起せざる可からざる所以を談じ、娓々止まず。氏、大に会する所あるが如く、余に語て曰、今宵の事、窃に期する所あり。若し公の説如何に依りては、敢て公を刺んと決したり。今や公の説を聞き、大いに余の固陋を恥づ。請ふ、是よりして公の門下生と為らんと。爾来、氏、意を海軍に致す、寧日なし。

というふうに言われていますね。
 
しかし龍馬は松平春嶽から勝への紹介状を貰って行ったのだから、その相手を斬りに行くなんて紹介してくれた人の面目を潰す様なことはしないだろう、あるいは龍馬はそんな過激なことはしないだろうという風に捉えられている逸話でもあります。あと海舟は発言に大言壮語気味な所があるし。

でも以下に見られる、維新後松平春嶽が当時のことを追憶記述した、土方久元宛ての書状を見ると、ありえない話でも無かったのかなと思いますね。

『明治十九年十二月十一日 松平春嶽書状 土方久元宛』
坂本龍馬氏は土州藩臣にして、国事の為に日夜奔走して頗る尽力せしは衆庶の知る所なり。老生初て面会せしは文久二年七(八ヵ)月と存ずる。
老生政事総裁職の命を受くるは六月也。
或日朝登城の前突然ニ士常盤橋の邸に参入して春嶽侯に面会を乞ふ。諾して面話す。登城前ゆゑ中根雪江に命じて両士の談話を聞かしむ。
此二人は坂本龍馬、岡本健三郎なり。
其後、此両士を招き両士の談話を聞くに勤王攘夷を熱望する厚志を吐露す。其他懇篤の忠告を受く。感佩に堪へす。
右両士の東下せるは勝安房、横井平四郎の両人暴論をなし政事に妨害ありと輿論を信じたるゆゑなりと聞く。坂本、岡本両士、余に言ふ。勝、横井に面晤仕度、侯の紹介を請求す。余諾して勝、横井への添書を両士に与へたり。
両士此添書を持参して勝の宅へ行く。両士勝に面会し議論を起して勝を斬殺するの目的也と聞く。両士勝の座敷へ通ると勝は大声を発して、我を殺すために来るか殺すならば議論の後になすべしと云ふ。両士は大に驚き落胆せり。
両士勝に面会して勝の談話を聞き勝の志を感佩心服し、これよりして廔々勝へ往来すと云ふ。其後勝評判宜しからず、暗殺の風聞ある頃には、夜々坂本、岡本両士はひそかに勝の宅を夜廻りして警衛せしと。これ坂本氏の懇厚の志を見る一斑なり。横井へも添書を以て面会す。当時横井廃論家の評判を受く。両士横井に談話する尊王の志厚く廃帝抔の事は毫もこれなく、横井の忠実に頗る感佩せりと云ふ。
慶応三年(月日忘る)坂本氏暗殺の翌朝、後藤象二郎君に面会いたしたく書状を送り候所、答書に坂本氏の暗殺にて用多く来邸を辞すとの事也。初めて此の死亡を聞て驚愕痛悼に堪へず。老生見聞する所を記載して追思往事の証を表す。

明治十九年十二月十一日
故山内容堂公親友なる松平慶永
土方卿閣下

これは明治十九年十二月十一日、春嶽が土方より坂本龍馬、中岡慎太郎両士二十年祭を執り行うにあたって案内を受けたものの、脚気で出席にドクターストップが掛かり、欠席の旨を返答する際、玉串料に添えて送った書状です。(山崎正薫『横井小楠伝』より)

「龍馬が勝を斬りに行った」という事に春嶽も疑問を差し挟まないというか、当時それは尊皇攘夷派志士の間でそんなに特殊な行為ではなかったのではないかと思うのです。沢辺琢磨が最初は切ろうとしたニコライ司祭に説得されて宗旨替えした例もあります。だから勝の手柄自慢的な要素は差し引いて考えるにしても、龍馬が春嶽に紹介状を書いて貰ったことを根拠に、勝の話を全否定しなくてもいいんじゃないかと思うんですね。
龍馬は影響を受けた相手がわかりやすいですよね、すぐ行動に出るので(笑)

本状で春嶽は龍馬が訪問した時期を文久二年閏八月頃と追想していますが、これは時期的に記憶違いではないかと言われていますね。また龍馬と共に訪れた人間を土佐藩士岡本健三郎としていますが、これは『追賛一話』、『維新土佐勤王史』では千葉重太郎になっています。
また脱藩浪士が幕府政治総裁職の春嶽に面会するためには、誰かの紹介が必要だったと考えられており、この紹介者に関しても千葉重太郎説、横井小楠説、間崎哲馬説と様々な推理があります。

ともかく龍馬は松平春嶽との出会いをきっかけに、勝海舟や横井小楠など幕府開明派との交流を深め、大いに知見を広げていく事になるわけです。
まあ最後は龍馬が海軍塾の運営資金を横領してトンズラし、海舟本人との付き合いはこれを機に終わってしまうわけですが、龍馬にとって非常に得るものの大きい師弟関係だったのでした。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

azoto

Author:azoto
土佐藩についての話題が多め。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
リンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
FC2カウンター
にほんブログ村Ranking
ブログランキング・にほんブログ村へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。